中学時代 その⑤ 頑張るということ(1)[1年生]

子リスの期末試験の結果に、私はどうしてそんなに「熱く」なったのか???
それは、子リスの、勉強や試験に対する態度が気に入らなかったからです。

「結構やったよ」
「結構いい順位でしょ」

それはその通り。それなりに勉強したのは事実だし、何もカンカンに怒るような結果ではなかったのかもしれません。

でもこの時、私の中には、「この子のこの態度、どうにかせんといかん!」という稲妻のようなものが走ったのです。ちょうど、子リスが3年生の時に、「この子は喋れないことに困っていない。これはどうにかしなければ!」と感じた危機感に似ていたように思います。

もともと私は、子リスに対して、何がなんでも必死に勉強して欲しいと思っていたわけではありませんでした。また、勉強や試験に必死になることが誰にとっても正しいことだと思っていた訳でもありません。
何しろそこまで、“こだわりの権化”みたいな子リスを見てきた私としては、この子は一体どういう風に進んでいくのだろう?と観察するような気持ちだったのです。ありとあらゆる「人生の歩み方」がある中で、この子は何を自分の強みとして生きていくのだろう?何に喜びを感じて、何からエネルギーを得て、これからの人生を作っていくことになるのだろう?それは、決して前もってわかることではなくて、子リスが成長していく過程で見せてくれるものだから、こちらとしては、見守っているしかないわけで・・・

だから、もし子リスが勉強嫌いで、他のことが好きなんだと判明したのなら、むしろ、「はーん、そういうことですか・・・」と納得する思いだったのではないかと思います。

でも、試験の結果を見せられたあの時に、私の心の中には納得できるものは何もなく、モヤモヤと気になることだけが渦巻いていました。
それは、子リスの、「これぐらいでいいんじゃない?」という態度、そしてその根底にあると思われた、自己評価の低さでした。

これは「はーん、そういうこと」ではないな。(無意識にしろ)目標設定を低くしているんだな。この中学生の時期に、その姿勢は…よくない。全然よくない。
カッコつけているつもりでも、「この辺で手を打とう」としているつもりでもなかったとは思いますが、私には子リスが、どこか全力を出すことを避けているように見えてしまったのです。

点数や順位そのものが問題ではないのです。
何かに必死に取り組んでみる。努力して力をつける。その成果を目に見える形にして、確認する。失敗した時には本気で落ち込む。それぐらい、なりふり構わずに何かをやって、自分の限界に挑戦してみる。その経験をしてみて欲しいと思いました。

そして私は、子リスはもっと頑張れる筈だと確信していました。それならば。

小学校時代、「自信」というものをつける機会がほとんどなかった子リスにとって、これはチャンスだと思ったのです。部活・生徒会・芸術・文芸…と色々分野がある中で、頑張って成果が出るかもしれないと思えたのが、たまたま勉強だったということです。もし子リスが、勉強をきっかけに自信をつけることができるなら、これを活かさない手はない、と思いました。

「体感時間8時間」の説教の効果なのかどうかわかりませんが、その後子リスは少しずつ、真剣に勉強に取り組み始めました。そして幸運にもその成果は目に見えてきました。

でもあの頃のことを思い出すと、時々考えることがあるのです…。(つづく)

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