2年生時代 ⑫ 大きい声

 教室に貼ってあった「声のものさし」ポスターの件をはじめとして、当時の私は「声」に関して、だいぶ過敏になっていたなあと思うのですが、今でも、テレビの子ども番組で歌のお兄さん、お姉さんたちが、「さあみんな、2番はもーっと大きな声で歌ってね~!」などと言っているのを聞くと、
「いったいどれだけ大きな声を出せばいいんだ?」
とケチを付けたくなっている自分に気付くことがあります。

 …というのは、もしかすると子リスのことだけではなく、自分自身に、「声の大きさ」に関して小さなコンプレックスがあるからかもしれません。
 私は小学校時代、「声が出ない」わけではありませんでしたが、授業中の発表など、大勢の前では本当に小さい声しか出なくて、いつも先生に注意されていました。通信簿の「担任から」の欄に書かれていたことは、ほぼ毎年同じ。
「もっと大きな声が出るようにしましょう。発言を増やしましょう。
忘れ物をなくしましょう。(←これは声とカンケイないですね…)」
 4年生の時の先生は、大声を出させることに特に熱心で、国語の教科書を音読する人の声が小さい時は、他の子ども達全員に、
「聞こえませ~ん!」
と声をそろえて言わせることにしていました。
 勿論私は、音読の順番が回って来る度に、何度も何度も
「聞こえませ~ん!」
の「ダメ出し」を受けていました。でもそうすると、もっと緊張して体がきゅーっと固くなり、声は余計に小さくなり、目に涙がたまって教科書の字が見えなくなり…という、もうどうしようもない状態になってしまいます。そしてどうにか読み終わって席に着くと、かーっと顔が熱くなって涙があふれ、授業の残りの時間は顔が上げられずに、そんな自分を落ち着かせることしか考えられなかったものでした。

 「その場に適した大きさの声(小声も、普通の声も、大声も)が出せる」ということは、大人になっていく上で大切なことだと思います。小さな声で話す、相手にしっかり聞こえる程度の声で話す、ということはマナーとして必要です。大声に関して言えば、自分を強く主張するのに必要なこともあるかもしれないし、助けを呼ばなければならない時もあるかもしれません。また、仲間と共に大声を出すことによって、絆を深めることが出来る時もあるでしょう。また、大きな声を出すことは、単純に気持ちのいいことであったり、それによって心身共に解放されたり、時には新しい自分に気付いたり…ということもあるでしょう。

 子どもは、心が弾んでいる時は自然に声が大きくなります。子リスだって、家にいて楽しいことをしている時や、好きな場所に出掛けている時などは、「ちょっと、もう少し静かにしなさい!」と言わなければならない時があるほど、大きな声で喋ったり歌ったりいました。
逆に声が出ないということは、心が固くなっているということです。そんな時に「もっと大きな声で!」なんて言われても、すでに気分が盛り上がっている子はいくらでもボリュームを上げられるでしょうが、全然盛り上がっていない子、特に何らかの理由で、気持ちがお腹の底の方まで落ちているような状態の子どもにとっては、それは相当難しいことです。

「大きな声『も』出せるように」という方針は、間違ってはいないと思います。また、子どもに指導する時に、声を出すのは気持ちがいい。大きな声で歌ったら気持ちいい。さあ、みんなで…!というやり方も、わかります。ただその時には、
「大きな声を出しなさい!」というよりも、
まずそういう気分になれるような空間を作ろうとすることを、指導者は心掛けるべきではないかと思います。そして、それでも声が小さい、または声が出ない子がいる時は、「大きい声で!」「それじゃ聞こえないよ!」と、「声」だけにこだわってプレッシャーをかけるのではなく、まずはそのままその場に受け入れ、その子の気持ちに辛抱強く寄り添うことで、次第にその子を抱き込むことも出来るのではないかと思っています。(これは子どもだけでなく、実は大人にも言えることではないかと、仕事を通して感じています。難しいことですが。)
 そうしているうちに、子どもは場に慣れ、経験を積んでいく中で、大きな声を出したい!という内からの欲求に押されて声を出す時が来るかもしれません。一人一人には様々なタイミングで色々な出会いがあるので、それはみんなで遊んでいる時かもしれないし、もっと大きくなって部活動の仲間と一緒にいる時かもしれません。仕事に就いてからかもしれない。誰かとケンカをした時かもしれない。それから、親になって子どもを真剣に叱る時かもしれません。(←これは大声が出ますね!)

 それぞれの場面に必要な声量を出せることは、大切であると同時に、自分の中にいろいろなモードがある、ととらえてみることも面白いかもしれません。だから子どもにも、いつでもどんなときでも、やみくもに大声で、というのではなくて、声を出してみるのもいいかもよ、ぐらいのゆったりとしたアプローチが欲しいような気がします。自分の小学校時代を振り返りながら、また、今私が関わっている人たちを思いながら、そう考えています。

 ところで、「声が小さい」まま学生時代を過ごして、大人になった今の自分はどうかというと…
普段の私は、相変わらず声は小さめ、恥ずかしがり屋(自分で言うとヘンですね…)、普通のおしゃべりも何となく緊張気味です。だから学校の懇談会で発言する、などの場面は本当に苦手です。でも不思議なことに、どういう訳か人前に立つ仕事に就き、それを20年以上やって来て、そこで声が小さいと言われることはありません。おそらく私の中には、「仕事モードの発声器」というものがあり、そちらのモードになっている時は、声の出る仕組みが普段とは違っているようです。本当に不思議です。
大人になって感じること。声の大きい、キップのいい人は、私にとってあこがれであり、すてきだなあ。と思います。でもそれと同じぐらい、声の小さい人も大好きです。何となく気が引けている感じ、緊張して表情が引きつってしまう感じ、そういう感じを残している人に、とても人間味を感じるのです。

※これは当時教室に貼ってあったものと同じ型のものです。これに「スケール0(ゼロ):だまって話を聞く」が加わったものもあることを最近知りました。あの頃もそれが欲しかったなあ…😊

 

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