4年生時代 その㉛ 学校に行くということ ー私の場合ー

…これも今更ながらですが、

そんな中で、よく子リスは(ちょこちょこ休みながらでも)学校に行き続けたものだと思います。感心するというのではなく、何故だろうと疑問に思います。

 少々遠慮しながら、「あの頃、学校に行くのは辛くなかったんだろうか」と聞いてみると、子リスは

「そりゃあ面倒臭いから行きたくないっていうことはあったよ」

と言います。それは喋れないから辛い、ということだったのかと問えば、

「それもあったかもしれないけど、『喋れないから行きたくない』とはっきり思ったわけではない」
という答えです。

思うように喋れないからイヤなんだろうなあ…と結びつけるのは、こちらにとって考えやすいからであって、そんなに単純なものでもないのかもしれません。

子リスが学校に行ったことを私が不思議に思うのは、実は自分が、学校に行きたくない子供だったからです。とにかく何か休む口実はないものかと、しょっちゅう頭を捻っていたものでした。

まず、低学年の間は毎年必ず誰かにいじめられていました。クラスの中に一人強い子がいて、その子が大人しい子達を虐めるという形だったので、いわゆる今の「いじめ」とは異質のものかもしれませんが、とにかく学校が楽しいと思った記憶があまりありません。高学年になって、いじめられることは無くなって行きましたが、それでも今度は「出たくない学校の選挙に出なきゃいけない」とか、「昨日家でさんざん怒られた」、とか、まああれやこれやの理由で、気の重い日が随分ありました。

私のベースには、もともと怠け者である上に、束縛されずに勝手なことをしていたいという性格があって、そこに何かが重なると更に体が重くなり、どうしても休みたい状態になっていたように思います。
それでも何とか行った学校で、やはり具合が悪くなり(殆どの場合が腹痛)、保健室で休んでいたことも多々ありました。考えてみるとあれは4年生の頃が一番多かったようです。

ところで、私の子供時代を振り返ってみると、あの頃は、
「子供の気持ちによりそう」という様なことが普通に語られるには、まだ遠かったのではないかと思います。変わりつつはあったにせよ、現代に比べたら精神的な親の理解は得にくい時代だったという気がします。(保健室に迎えに来た母の、オソロシイ顔が今も浮かびます…💦)
ただその分、あまり複雑に悩む必要もなかったのかもしれません。あんまり休むと親にや先生に「怒られるから」行く、という単純な考えしかなかった、そしてとにかく多少のことがあっても、基本的に学校は「行かなければならないところ」だから、ずっと行かないという選択肢はなかった―――この「当たり前」という考えは、多くの場合、私を含めた学校に行きたくない子どもの助けになっていたのかもしれません。とにかく行っているうちに、何とかなることは多かったので―――。

でも、あの時代から長い時間が経って、
今は、いじめの質や内容も、先生の立ち位置という様なものも、親子の関係も、地域の連帯感も…子どもを取り巻く全ての要素が随分変わり、
「学校に行くこと」のとらえ方も、とても複雑になっているように見えます。

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