5年生時代 その⑨ きちんとすることが恥ずかしい。(2)

ピアノの発表会でのぎこちなさも、緘黙の根底にあるものも、そしてかつての自分の「固まっちゃう」現象も、過剰な自意識そのものなんだろうと、ずっと思ってはいました。自意識とは、時として本当にやっかいなものです。

運動会での失敗談を含めて、私にも緘黙と思われる症状があったことを、子リスに話してみました。
以下、子リスとの会話です。

私: そんな訳で、私にもそういう(緊張して声が出なくなる・身体が動かなくなる)
   傾向はあったんだよね…

子リス: あー、そうかそうか!じゃあ僕がそうだったのは、ぜーんぶお母さんのせい
    だということで…(笑)

私: そうそう。(笑)で、そうすると自分の子供時代のことも分析したくなって来る
   んだけど…そもそも、どうして突然声が出なくなったりするんだろうね?

子リス: “いっぱいいっぱい”なんじやない?

私: なにで?

子リス: 色々考え過ぎて、声を出すところまで行けない。

私: つまり、周りの視線だとか、自分をどう思ってるかとか、そういうことを過敏に
   感じてしまって、それに気を取られ過ぎて、喋るとか動くとか、そっちまでは
   出来ないと。

子リス: そうなんじやないかな。

私: じゃあ、それが出来るようになったのは?

子リス: ま、キャパが増えたってことじゃない?

私: キャパ!

子リス: 色々考えちゃうとか、感じちゃうのは変わってないんだけど、プラスアルファの
    キャパが出来た。だから、考え過ぎていても声が出せる、っていうことになった
    んだと思う。

またユニークな意見をもらえました。なるほどねー。キャパかぁ。

ところで、「固まっちゃう」コドモだった私がその後どうなっていったかを振り返ってみると、
確かに中学校、高校、と、あれこれ恥をかいたり困り果てたりしなごら過ごしながらも、少しずつ「キャパ」は増えたらしく、現在は人前で喋ることが多い仕事をしています。
でも、子リスが言うように、根底にあるもの(周りが気になり過ぎてしまう性格)は無くなっていません。仕事の時は不思議とモードを切り替えられるのですが、(←これもキャパ増幅のおかげ?)学校の懇談会で喋るとか、グループでの他愛ないおしゃべりなど、今でも基本的には苦手です。

自分をモニターし過ぎてしまう癖に嫌気が差し、どうにかならないものかなあ、と、何度も何度も思いながら生きて来ましたが…ただ、ここ数年、依然と比べて大分ラクになったような気がするのです。歳を重ねただけでも落ち着いて来るものなのかもしれません。でも、努力もあってのことだと、少しは思いたいところです。色々考えたり悩んだり、本を読んだり、人と話したりする中でヒントを得て、「自分への執着を切り捨てよう。」とか、「よく見られたい願望を捨てよう。」とか、その時々で必要と思ったことを自分に言い渡すことを繰り返し、それが積み重なって来たのであれば嬉しいことです。

自意識の強さは、悪いことばかりではなくて、これがあるからこそ、自省の念や向上心を持ち続けていられるとも言えると思います。必要ない時にぱっと自我を手放せて、居心地のいい自分である時間が増えて、その分、周りで本当に起こっていることに目を向けられる、というのが理想です。

ところで、ピアノの発表会での「登場」~「退場」の一連の様子をビデオに録画してあったのですが、勿論当時の子リスはそれを見ようとはしませんでしたし、私達も無理に見せることはしませんでした。でも、あれから10年以上経った今、子リスはビデオに映る自分の姿をまじまじと見ながら、

「どうしようもないね、こいつは」と呆れながら、
「まあ、『ちゃんとできなかった』っていう経験もあってよかったんじゃないですか」

と笑っています。

子リスはこの後、この「きちんとすることが恥ずかしい」、という状態から、ものすごい方法で脱却させられることになるのですが、それはまだ5年ほど先の話です。

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