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2013年04月 アーカイブ

2013年04月20日

私のこと。

3月5日にいただいたコメントを読ませていただいて、私自身のことを少しだけ書いておきたいと思いました。コメントの中にあった、「(お母様が)いっぱいいっぱいだった」という言葉が、私にも当てはまることだったからです。
子リスが小学校に上がる前の年からの2~3年間は特に、我が家に本当にいろいろなことがあった時期でした。あまりにも次から次へと問題が起こって、私は精神的にも体力的にも、かなり追い込まれた状態でした。何が現実で何が非現実なのかの境がはっきりしなくなり、自分という存在が、自然にふっと消えてしまっても不思議ではないような、そんな感覚に時々襲われれながら、何とか日々を過ごしていました。そんな中で、子リスが「場面緘黙症」であるとわかった時は、確かに大きなショックを受けましたが、同時に「ああ、そういうことだったんだ」とどこか腑に落ちた思いがあり、それならばそれなりに、必要な対策を立てて取り組んで行こう、と覚悟が出来て、むしろすっきりしたことを覚えています。当時“もや”の中にいた私にとって、唯一はっきりと見えた事実だったのかもしれません。子リスが今助けを必要としているということ、そして、私自身が何者なのかは今はわからないけれど、この子の問題に取り組むべきなのは私である、ということがです。(夫は当時体調を崩していたので、あまり負担をかけられない状態でした)
あの頃、子リスの問題に関わる時だけが、現実の世界にいる私であるような気さえしていました。
ブログを始めたのは、そんな時期の真っただ中でした。ただし、ブログを書くのは気持ちが落ち着いている時ですから、文章には、あれこれ整理した後の考えや心の状態が表れます。ですから、読んで下さる方には、私がいろいろな問題に、次々と冷静に対処してきたように思われるかも知れません。でも実際はそんなことはなくて…泣いたり、焦ったり、怒ったり、自分の問題を自分の中で処理しきれず子どもに八つ当たりしてみたり…とても偉そうなことは言えないような心の状態であった日が数え切れません。決して謙遜ではなく、母親として至らなかったと思うことばかりです。
それでも!(ここからが大事です…)それでも何とか諦めずに日々過ごして行くうちに、周りの状況は少しずつ変わり、子リスは成長し、そして私も、苦しいままでいる筈がなく、少しずつ、少しずつ、(障害物競争の網くぐりのように…)いろいろなものから解き放たれて行き、気が付けば、だいぶ新しい自分達になっているような…そんな感じです。
ブログを休んでいた6年間は、そのもがき苦しみの時間だったのですが、その間にして来た、「これはやってよかった」ということも「これはまずかった。子リスになんとお詫びをすればよいか…」ということも、やはり記録しておきたいと、子リスの中学校入学を機に考えました。そんな私達の歩みの中に、何か少しでも、同じことで悩んでいらっしゃる方の参考になることがあれば、私にとってこんなに嬉しいことはありません。

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2013年04月25日

2年生時代 ① M先生

 子リスは2年生になりました。新学年が始まって、まず気になるのは担任の先生のことです。私は、引き続きA先生に受け持ってもらえることを願っていたのですが、A先生は高学年の担当になり、子リスのクラス担任は、ベテランの女の先生、M先生になりました。
何はさておき、面談に行かなければなりません。
 始業式の次の日、
「子リスのことで、いろいろとご相談に伺いたいと思います。先生のご都合のいい日時を知らせていただけますでしょうか。どうぞよろしくお願い致します。」
と書いた手紙を連絡帳に挟んで子リスに持たせました。以後子リスは毎年、始業式の次の日には、新学年の提出物と一緒に、この面談申込みの手紙を持って行くのが習わし(?)となりました。(先生方は、前年度からの引き継ぎで子リスのことは大体ご存じなので、何の相談かは明らかでしたから、では〇日の△時ごろではいかがでしょう?と返事を下さったり、電話を下さったりして、面談の日時が決まりました。)
 面談の日、教室で待っていたM先生は、ニコニコと私を迎えて下さいました。そして話してみると、とても穏やかで優しく、どこかにユーモアも感じさせるような先生でした。

 「正直申し上げて、私、『場面緘黙症』についてはあまり詳しくは知らなかったのです。でも、勉強させていただきますね。」
とおっしゃいました。それを聞いて、私はとても安心したことを覚えています。
 学校の先生方は、教職取得の過程で、「場面緘黙症」というものの存在を必ず一度学んでいる筈なのですが(元中学校教員の友人から聞きました)、現場でそういう子供の担当になる確率は高くないでしょう。また、学校に「喋れない」子供がいたとしても、その子が「場面緘黙症」に当てはまるかもしれないとして、直ちに適切な対策(介入)を…という方向に行くことはあまりないように思われます。
(それは、場面緘黙症が教室内で問題視されにくいことや、緘黙症に限らず、学校側から「お子さんには問題があるかもしれませんから専門機関にご相談を」と言うことが出来ないという事実などが関係しているのではないかと思いますが、これについてはまた後でゆっくり考えることにします。)
 緘黙症について、学校の先生方にもっと知ってもらう必要があることは勿論ですが、もう一つ大事なことは、先生が、問題を抱えている子供と出会った時、その子の問題・そしてその子自身と、新鮮な気持ちで向き合おうとして下さること、それから、問題についての知識を深めようとして下さることだと思います。もともとの知識が深いに越したことはないのですが、「この問題にはこういう解決策」と、公式のように決めつけて対処しようとするのではなく、個々の問題として、子どもをよく見て考えて下さることこそがありがたいと思っています。そういう意味で、「勉強させていただきますね」というM先生の言葉は、とても嬉しいものでした。

 M先生は、一年生時代の子リスの様子は、A先生から聞いて大体知っていらしたので、補足的に今の状態を説明し、その後、緘黙症への取り組みを進めて行く中で何が大切か教室で先生にお願いしたいことは何か、ということについてお話しました。

現状:
 ① 喋らないのではなく(つまりやる気の問題ではなく)喋れないのであること。
 ② 本人は、「場面緘黙症」という言葉を知らないこと。
 ③ 内緒話も今はまだ出来ない(つまり声というよりは息が出ない)こと。
 ④ 声は出ないが、頷き、首を振るなどで、Yes/Noの質問には答えること。
 ⑤ 表情やジェスチャーで気持ちを伝えようとすることもあること。

大切なこと:
 ① 喋れないことに関して、本人が「病感」を持たないこと。
 ② 喋れなくても、他の手段を使って、コミュニケーションをとる意欲を失くさせないこと。
 ③ 喋れないことは、子どものほんの一部であることを忘れないこと。
 ④ 引き続き、学校に楽しく通えること。

お願い:
 ① 本人には、「場面緘黙症」という言葉を使わないのは勿論、喋れないということをな
   るべく意識させないようにして欲しい。
 ② クラスで全員が一人ずつ発表するような時は、順番を飛ばしたりせず、紙や黒板に
   書くなど、何らかの方法で発表させて欲しい。
 ③ 喋る機会は時々与えて欲しいが、喋れなかった時には、喋ることを無理強いしない
   で欲しい。
 ④ 時々、私との面談を持って欲しい。

 M先生は、一つ一つ頷きながらしっかりと聞いて下さり、最後にこんなお話をして下さいました。「私は、金子みすずの『みんなちがってみんないい』の詩が大好きなんです。たまたま、今年は2年生で、その詩を勉強することになっていますが、みんなにとっても、子リス君と同じ教室にいることは、大事なことを学ぶよい機会かもしれません」
 私は、新学年の第一関門をくぐった気持ちで、ほっとしながら学校を後にしました。

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