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2014年05月 アーカイブ

2014年05月09日

2年生時代 その⑦ N君と“クローズドクエスチョン” 

  子リスが幼稚園時代に、時々一緒に遊んだ友達がいます。それは、このブログの初めの頃(2006年)に時折登場してもらった「マリーさん」の息子さん、N君です。
 N君は活発で背も高く、ニコニコと可愛らしくて、しかも賢く、皆の人気者でした。入園式でお母さんのマリーさんと知り合ったご縁で、幼稚園の頃は、時々週末に一緒に出掛けたり、お宅にお邪魔して食事をごちそうになったりしていました。小学校は別々の学校になったのですが、夏休みなどに時々一緒に遊んだり、出掛けたり、ということが続きました。

 N君と子リスが一緒に遊ぶ時、二人がどうやって“話”をしていたかというと…
 幼稚園時代は、N君が私達(N君のお母さんと私)のところに来て、「子リス君と『ドラえもんすごろく』してもいい?」などと聞きに来たものでした。そして、私が「子リス、N君と『ドラえもんすごろく』する?」と聞き、子リスが黙って頷くと遊びが始まります。しばらく遊ぶとまたN君がやって来て、「子リス君は次は何して遊びたいかなあ」
 私:「子リス、何かしたいことある?」
 子リス:「ブロック…。」(私に耳打ち)
 私:「子リスはブロックで遊びたいって言ってるんだけど、N君、いい?」
 N君:「いいよ。」
…という具合に遊びが進んでいました。

 小学校になると、N君はだんだん、子リスに対する質問の仕方のコツを会得してくれて、「子リス君、何したい?」とは聞かなくなりました。その代わり、
 N君:「子リス君、ブロックと小麦ねんどと、生き残りゲームだったら、ブロックで遊びたい?」
 子リス:(首を横に振る)
 N君:「じゃあ、粘土?」
 子リス:(首を横に振る)
 N君:「じゃあ、生き残りゲーム?」
 子リス:(にっこりして頷く)
 N君:「わかった!」

 つまりN君は、子リスに対する質問を、全てYes/Noで答えられる質問に変えてくれたのです。さすがN君・・・!と、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 緘黙症に関する書物の中で、また、実際に学校などで行われる取り組みの中で、このYes/Noで答えられる質問(クローズド・クエスチョン)が、声を出して話すのが難しい子どもとコミュニケーションを取る方法として紹介されることは多いと思います。シンプルなことのようですが、これは本人や親にとっても、またクラスメートなど周りの人達にとっても、本当に“目から鱗”の経験になり得る方法です。お互いがストレスなく関わることを可能にする、“魔法のクエスチョン”とも言えると思います。(そこが楽しい雰囲気であることが大前提ですが。)

 何よりも子どもは、友達と一緒に遊びたがっているように見えます。「子リス君に喋っては欲しい」けれど、それよりも、「とにかく楽しく遊びたい。」そしてそれは、子リス本人にとっても同じことだったと思います。喋らなくても楽しく過ごせる状況になれば、「喋らなくてもいいんだ」などという意識さえもいつの間にかどこかへ忘れ去り、遊びに没頭することが出来た、という経験を、N君には何度もさせてもらいました。
 年齢が進むと自意識が高まって来るので、それほど単純には行かないことも出て来ますが、それでも、楽しい時間、心が躍る体験、というのが、どんなに人間の心を解放し、新しい自分に導いてくれるものか、ということは、大人にも言えることだと思うのです。
 このことは、「緘黙症」と向き合う大人、特に親である私達が時として忘れがちなことかもしれないと、その頃反省したことを覚えています。喋れなければ心配だ、将来が不安だ…と、例えば友達と遊ばせている時にも、「これによって話せるようになるだろうか」ばかりに神経が集中してしまうことがありました。
 けれども、
  ①  子どもが話せるようになるには、緊張を取り除くこと、話すことへのプレッ
    シャーのない状況であることが大切
だと思います。話せるようになるため
    の取り組みとは矛盾するようで、実はそれこそが必要不可欠な条件だと思います。 そして、
  ② 話せる、話せない、ということが、子どもの全てではない、ほんの一部である
    という、あまりにも当たり前のことを、繰り返し思い出す必要があるとも、思います。

 話せない時代にも、その子=「話せない子」と見るのは一部の他人で十分。親を中心とした周りの人間が、その子を他の全ての人と同様、「苦手なこと」を持つごく普通の子どもと認識することが、最も根本的に大事なことだと思います。

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