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2015年08月 アーカイブ

2015年08月06日

2年生時代 その⑩ 部屋の中

 前回のブログから:
「そんな漠然とした“ストレス”が、先日書いた「ポケモン並べ」に代表される「こだわり」になり、また、胸の苦しさや吐き気といった症状で体調に表れたりしていたのだろうか…と、今になって思い当たるような気がしています。」

「今になって」というのは何とも情けない話なのですが…
 子リスが2年生の頃というのは、実は私自身にとっても試練の時期でした。夫が体調を崩していたことに加えて、いろいろな状況が重なって、自分が生きている実感がはっきり持てないような日々を過ごしていました。(→「2013年4月20日:「私のこと」)
 蘇ってくるのは、毎日学校から帰って、リビングで一人で黙々と、または騒がしく、或いは飛び跳ねながら、何かをして遊んでいる子リスと、それを台所から眺めている私、という光景です。
「家に帰るとランドセルを放り投げて遊びに行く」
という、小学生の理想像(???)を見ることはないのだろうか…。他の子ども達は誰かと約束して、毎日楽しく遊んでいるのだろうに、この子はいつまでこうやって、この部屋の中にいるのだろう…。これから変わって行くのだろうか…。それはいつなのか。全く変わらなかったら…と、絶望しそうになりながら、自分自身もどっぷり“闇の中”状態でした。

 まさに親子共々“引きこもり”のような時間だったと思うのですが、子リスは今になって、こんなことを言うのです。
「あの頃も楽しかったなあ。いろいろ好きなことをして…、あの時代も結構好きだったよ。」

「へえー、そうなんだ。」
 呑気だねえ、と言いつつ、私はちょっとじーんとしてしまいました。

 思い起こしてみると、子リスが遊んでいる部屋でゆったりと過ごしたのは、私にとっても何とも静かで、平和な時間でした。安心空間からなかなか出られないことを「このままではいけない」と焦り、時折大きな不安に駆られはしたものの、実は同時に、親子で寄り添って絆を深めることが出来た、とても貴重な時期でもあったのだと、今感じています。
 もう、とうに背丈は私を追い越し、学校や部活動が忙しくて家にいる時間は短くなり、日に日に少年から青年へと成長していく子リスを見ていると、尚更あの頃が、本当にかけがえのない時間だったと、ちょっぴりの切なさと共に思えて来るのです。

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2015年08月15日

2年生時代 その⑪ 群読

 学校では全く声が出ない。家にクラスの友達が遊びに来たのは3回程、その時は家でも声は出さない。外で知り合いに会った時にも、笑顔は見せるものの声は出さない。結局2年生も、「喋れない」まま終わってしまいました。

…と、こんなまとめ方で2年生の一年間を振り返ることも出来ます。「子リスは学校で普通に喋れるようになったのか」という観点だけで見れば、そういう総括になるのです。でも同じ一年間を、顕微鏡を覗くように見てみると、実はいろいろな変化や成長があったことに気付きます。たまに会って「まだ喋れないんだね」という人には「いやいや、そんなもんじゃあないんですよ…。」と心の中で反論したものでしたが、私自身、小さな変化に目を向けるという姿勢は、子リスが1年生の時に、市の相談員のUさんから、「スモール・ステップ」という考えを一番大切なことの一つとして教えていただいたからこそ持てるようになったものだと思います。
 3学期最後の授業参観でのことです。
その日の参観は国語の授業で、最後にクラス全員での、教科書の群読がありました。子ども達が教室の黒板の前に全員並んで保護者の方を向き、詩を読みました。
 それまでは、国語の教科書を読むにしても、歌を歌うにしても、何かクラス全員でやることがあれば、下を向いてきゅっと口を閉じ、小さくなって固まっているだけでした。そんな時、ひたすら「早く終われ~」と思っているであろう子リスの気持ちがこちらにも移って来て、私にとっても、クラスのみんなの「元気な」声がものすごく威圧的に聞こえてきたのを覚えています。

 (ところで教室内には、声の大きさの目安を示す「声のものさし」というポスターが貼ってありました。「となりの人に聞こえる声」→「グループの人に聞こえる声」→「教室全体に聞こえる声」→「全校に聞こえる声」と、「声のレベル」が絵を使って示してあり、場面によって適した大きさの声で話しましょう、ということを教えるものになっていました。授業中に大声を出したりしないように、また、発言する時にはみんなに聞こえるように、といった、大事なことを子どもに分かり易く示したポスターであることは、その時にもわかりはしたのですが、当時はそれを目にする度に、ドキッとして密かに傷ついていたものでした。このポスターを見て子リスはどう思っているのだろう、と考えたり、先生が他の生徒達に「もっと大きな声で」と注意するのを聞く度に、「子リスはどういう思いで聞いているのだろう」とドキドキしたり… 焦らないと決めたはずでも、その頃の私はかなり過敏になっていたんだなあ、と思います。)

 さて群読が始まって、子リスはどうするのかと見ていると…なんと口を動かしています!声が出ていないことは見ただけでもわかるし、やっぱり相当居心地が悪そうにはしていますが、でもとにかく、みんなと一緒に口を動かしているのです。これは、子リスにとっては大きな、大きな進歩です。
すごい!と驚き、涙が出てきました。そしてその時に初めて思ったのが…
 子リスのおかげで、ひとつひとつのことにこうやって喜んだり、感激したりすることが出来る。もともと出来る子にとっては一段であることが、子リスにとっては何段にもに区切られているので、(つまり“スモール・ステップ”)その度に達成感を味わうことが出来る。これは、嬉しいことが何倍も多い「お得な学校生活」かもしれない!ということでした。
 そしてその思いは、小学校卒業までずっと続き、本当に喜びの数の多い6年間になりました。勿論、その裏には、それ以上の心配や不安の数があったことは言うまでもありませんが、それでも、小さなステップを上る度に感じた喜びは、紛れもなく子リスからもらったプレゼントだと思っています。

2年生での一年間が終わってみて、
 学校で、友達の問いかけに頷いたり首を横に振ったりすることを、笑顔で出来た。友達が家に来た時、嬉しそうだった。夫や私の兄弟などとは、声を出して話すことが出来るようになった。そして、群読で口を動かすことが出来るようになった。目に見えるだけでも、これぐらいの進歩がありました。子リスなりに、小さなステップを上っていたのです。
 そして、それらの変化が表に表れるまでには、おそらく子リスの中で、いろいろな葛藤(まだ小さいので無意識のことも多いでしょうが)があったり、困ったり傷ついたり、楽しかったり嬉しかったり…という心の経験を通して、どんどん変化していく過程があったのだろうと思います。外からでは全く進歩がなく、足踏みをしているように見える時にも、実は細胞分裂のようなミクロのレベルでの変化がたえず起こっているんだろうな…と考えると、子どもというものが、とても素晴らしく、頼もしい生き物に思えてきます。(大人も、と思います…)

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2015年08月20日

大きい声

 教室に貼ってあった「声のものさし」ポスターの件をはじめとして、当時の私は「声」に関して、だいぶ過敏になっていたなあと思うのですが、今でも、テレビの子ども番組で歌のお兄さん、お姉さんたちが、「さあみんな、2番はもーっと大きな声で歌ってね~!」などと言っているのを聞くと、
「いったいどれだけ大きな声を出せばいいんだ?」
とケチを付けたくなっている自分に気付くことがあります。

 …というのは、もしかすると子リスのことだけではなく、自分自身に、「声の大きさ」に関して小さなコンプレックスがあるからかもしれません。
 私は小学校時代、「声が出ない」わけではありませんでしたが、授業中の発表など、大勢の前では本当に小さい声しか出なくて、いつも先生に注意されていました。通信簿の「担任から」の欄に書かれていたことは、ほぼ毎年同じ。
「もっと大きな声が出るようにしましょう。発言を増やしましょう。
忘れ物をなくしましょう。(←これは声とカンケイないですね…)」
 4年生の時の先生は、大声を出させることに特に熱心で、国語の教科書を音読する人の声が小さい時は、他の子ども達全員に、
「聞こえませ~ん!」
と声をそろえて言わせることにしていました。
 勿論私は、音読の順番が回って来る度に、何度も何度も
「聞こえませ~ん!」
の「ダメ出し」を受けていました。でもそうすると、もっと緊張して体がきゅーっと固くなり、声は余計に小さくなり、目に涙がたまって教科書の字が見えなくなり…という、もうどうしようもない状態になってしまいます。そしてどうにか読み終わって席に着くと、かーっと顔が熱くなって涙があふれ、授業の残りの時間は顔が上げられずに、そんな自分を落ち着かせることしか考えられなかったものでした。

 「その場に適した大きさの声(小声も、普通の声も、大声も)が出せる」ということは、大人になっていく上で大切なことだと思います。小さな声で話す、相手にしっかり聞こえる程度の声で話す、ということはマナーとして必要です。大声に関して言えば、自分を強く主張するのに必要なこともあるかもしれないし、助けを呼ばなければならない時もあるかもしれません。また、仲間と共に大声を出すことによって、絆を深めることが出来る時もあるでしょう。また、大きな声を出すことは、単純に気持ちのいいことであったり、それによって心身共に解放されたり、時には新しい自分に気付いたり…ということもあるでしょう。

 子どもは、心が弾んでいる時は自然に声が大きくなります。子リスだって、家にいて楽しいことをしている時や、好きな場所に出掛けている時などは、「ちょっと、もう少し静かにしなさい!」と言わなければならない時があるほど、大きな声で喋ったり歌ったりいました。
逆に声が出ないということは、心が固くなっているということです。そんな時に「もっと大きな声で!」なんて言われても、すでに気分が盛り上がっている子はいくらでもボリュームを上げられるでしょうが、全然盛り上がっていない子、特に何らかの理由で、気持ちがお腹の底の方まで落ちているような状態の子どもにとっては、それは相当難しいことです。

「大きな声『も』出せるように」という方針は、間違ってはいないと思います。また、子どもに指導する時に、声を出すのは気持ちがいい。大きな声で歌ったら気持ちいい。さあ、みんなで…!というやり方も、わかります。ただその時には、
「大きな声を出しなさい!」というよりも、
まずそういう気分になれるような空間を作ろうとすることを、指導者は心掛けるべきではないかと思います。そして、それでも声が小さい、または声が出ない子がいる時は、「大きい声で!」「それじゃ聞こえないよ!」と、「声」だけにこだわってプレッシャーをかけるのではなく、まずはそのままその場に受け入れ、その子の気持ちに辛抱強く寄り添うことで、次第にその子を抱き込むことも出来るのではないかと思っています。(これは子どもだけでなく、実は大人にも言えることではないかと、仕事を通して感じています。難しいことですが。)
 そうしているうちに、子どもは場に慣れ、経験を積んでいく中で、大きな声を出したい!という内からの欲求に押されて声を出す時が来るかもしれません。一人一人には様々なタイミングで色々な出会いがあるので、それはみんなで遊んでいる時かもしれないし、もっと大きくなって部活動の仲間と一緒にいる時かもしれません。仕事に就いてからかもしれない。誰かとケンカをした時かもしれない。それから、親になって子どもを真剣に叱る時かもしれません。(←これは大声が出ますね!)

 それぞれの場面に必要な声量を出せることは、大切であると同時に、自分の中にいろいろなモードがある、ととらえてみることも面白いかもしれません。だから子どもにも、いつでもどんなときでも、やみくもに大声で、というのではなくて、声を出してみるのもいいかもよ、ぐらいのゆったりとしたアプローチが欲しいような気がします。自分の小学校時代を振り返りながら、また、今私が関わっている人たちを思いながら、そう考えています。

 ところで、「声が小さい」まま学生時代を過ごして、大人になった今の自分はどうかというと…
普段の私は、相変わらず声は小さめ、恥ずかしがり屋(自分で言うとヘンですね…)、普通のおしゃべりも何となく緊張気味です。だから学校の懇談会で発言する、などの場面は本当に苦手です。でも不思議なことに、どういう訳か人前に立つ仕事に就き、それを20年以上やって来て、そこで声が小さいと言われることはありません。おそらく私の中には、「仕事モードの発声器」というものがあり、そちらのモードになっている時は、声の出る仕組みが普段とは違っているようです。本当に不思議です。
大人になって感じること。声の大きい、キップのいい人は、私にとってあこがれであり、すてきだなあ。と思います。でもそれと同じぐらい、声の小さい人も大好きです。何となく気が引けている感じ、緊張して表情が引きつってしまう感じ、そういう感じを残している人に、とても人間味を感じるのです。

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2015年08月27日

3年生時代 その① N先生

 2008年4月、子リスは小学校3年生になりました。新しいクラスの担任の先生は、N先生という、若い女の先生でした。新婚ホヤホヤのN先生は、ちょっとボーイッシュな、笑顔の素敵な先生でした。
先ずは恒例の…「新年度:先生との面談」です。
 3年目ともなると、これはすでに「新年度やることリスト」にしっかりおさまっていて、始業式から帰って来る子リスから連絡帳を受け取ると、早速新年度の挨拶と面談のお願いを書いて持たせ、翌日返事をいただいて日取りを決めて…と、淡々と進んでいきます。このあたり、「うーん、私も慣れてきたなあ」と変なところで感心したりしていました。

 そして、面談でこちらから話すべき事項も、基本的には去年と変わらず、です。
子リスの状態は前年度のM先生からの引継ぎで大体ご存じなので、
補足的に今の状態を説明し、その後、緘黙症への取り組みを進めて行く中で何が大切か、教室で先生にお願いしたいことは何か、ということについて話します。

現状:
① 喋らないのではなく(つまりやる気の問題ではなく)喋れない。
② 本人は、「場面緘黙症」という言葉を知らない。
③ 声は出ないが、頷き、首を振るなどで、Yes/Noの質問には答える。
④ 表情やジェスチャーで気持ちを伝えようとしている。

大切なこと:
① 喋れないことに関して、本人が「病感」を持たないこと。
② 喋れなくても、他の手段を使ってコミュニケーションをとる意欲を失くさせないこと。
③ 喋れないことは、子どものほんの一部であることを忘れないこと。
④ 何よりも、学校に楽しく通えること。

具体的なお願い:
① 本人には、「場面緘黙症」という言葉を使わないのは勿論、「喋れるかな?」などと、本人が意識するようなことを言わないで欲しい。
② クラスで全員が一人ずつ発表するような時は、順番を飛ばしたりせず、紙や黒板に書くなど、何らかの方法で発表させて欲しい。
③ 話しかけたり質問をしたり、ということはなるべくして欲しい。ただ、質問に対して声を出して答えられなかった時には、声を出すことを無理強いしな いで欲しい。
④ 出来れば質問には、クローズド・クエスチョン(Yes/Noで答えられる質問)をたくさん取り入れて欲しい。
⑤ 時々面談の機会を持って欲しい。

 N先生は、メモを取りながら真剣に私の話を聞いて下さいました。そして、
「普通に接するということでいいんですよね。そして声が出なければ、書いてもらったり、指さしてもらったり、という方法で意思表示をしてもらう、ということですね」
と確認されました。私が、「そうです、お願いします」と言うと、
「わかりました。大丈夫です!」
と元気におっしゃいました。

 若い若い先生、緘黙症の子どもを受け持った経験どころか、教員としての経験そのものも、まだ数年しかない先生でした。でもこの若いN先生の「大丈夫です!」が、何だかとても嬉しかったことを覚えています。大丈夫、とにかくこの子、引き受けます!という風にも聞こえましたし、また、私と比べて年齢的にはるかに子どもに近い分、本能的に(というか、あれやこれや考えることなく、というか)、「心配なことが思い当たらないから、きっと大丈夫!」と言われているような気もしました。
それで、一瞬「えっ、『大丈夫』ってホントに…?」という思いが過りはしたものの、すぐに「そ、そうおっしゃるなら、それに乗っかってみましょうか…!」という気持ちになったのでした。そして、
先生:「よろしくお願いします!」
私:「あっ、こちらこそ、よろしくお願いします!」
と挨拶をし、若さと元気と、良い意味での軽さに多少圧倒されながら、今年度初面談の締めとなりました。
 先ずは信じて、進み始めてみる。それが当時、まだ色々な意味で大きな不安と迷いの中にいた自分を動かしていた、ささやかな信念のようなものだったかもしれません。

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2015年08月31日

3年生時代 その② 通学班と自己紹介

 新年度、「担任の先生との面談」と並んでもう一つ、こなさなければならないことがありました。それは「通学班の顔合わせ」です。
 私達の住んでいるマンションには、当時小学生の子供がたくさんいて、一班六人の通学班が常時二つから三つありました。またその頃は、朝子ども達が学校に出掛ける時にお母さん達が一緒にロビーまで出て行って、班の子ども達が揃うのを確認し、全員集まったところで「行ってらっしゃい!」と送り出すのが、このマンションの習わし(?)になっていました。(そうやって子ども達を見送った後、私達は何となくそのまま残って世間話をしたり、学校のことについて情報交換をしたりして、20~30分過ごしたものでした。今は子どもの数が減り、お母さん達も忙しくなって、その習慣はなくなってしまったようですが、あれはあれで、のんびりしたいい時間だったなあ…と思い出します。)

 四月になると新一年生が加わり、最高学年の子は新班長や新副班長になって、新しい班編成となります。それで最初の登校日には、親子全員がロビーに集まって顔合わせをすることになっていました。子ども達が一人一人、自己紹介をします。
まずはは班長さんから。「班長になりました、六年〇組の、〇〇△△です。」(パチパチ…拍手)続いて他の子ども達も、順々にクラスと名前を言っていきます。
 新一年生にとっては初めてのことなので、モジモジ恥ずかしそうにしながら、やっと聞こえるくらいの声で名前を言う子もいますし、反対にとても元気よく、張り切って立派に挨拶する子もいました。一年生の時の子リスは…「困った笑顔」(この表情をしている時がとても多かったなあ…と思い出します)で黙っていました。でもその時は「まだ一年生だからね」という空気にも助けられ、私自身がまだ「緘黙症」というものも知らず、「まあそのうち(=近いうちに)何とかなるだろう」と考えていたので、さほど気にもしませんでした。
 翌年、二年生になった時は、「元気に挨拶する1年生に触発されてもしかして…」という淡い期待を抱きましたが、そんなにカンタンに声が出るようなものでないことは、その後私もだんだんにわかって行くのでした…

 それでもやっぱり三年目も、「ひょっとしたら、次々に挨拶をする子ども達の波に乗って、ぽっと声が出たりして…」と、新年度はつい希望的になります。しかし結果は…子リスの前の子の挨拶が終わって、さあ、というタイミング。(それっ、行けっ!)
 シーン…。今時計の秒針を見ながら想像してみると、おそらく五秒ぐらいかと思うのですが、沈黙としてはそれぐらいが限度です。結局いつものように、後ろに立っている私が代わりに「三年〇組の、子リスです」と挨拶をしました。
 子ども達はみんなそれなりに緊張しているので、「なんで自分で言わないの?」などと聞く子はいませんでしたし、お母さん達の間でもその頃には、「子リス君はすごく恥ずかしがり屋」だから…ということになっていて(まあ、それはあながち間違いとは言えませんが)、それ以上何か言われたりすることもなく、温かく見守ってもらっていました。
 でも本人は…自分より小さい一年生、二年生が立派に挨拶をしているのに自分は一言も出なかった。その事実が、子リスの体全体に響いている様子が見えます。
新年度は、緊張もするけれど、何かを変えるチャンスでもある時です。その最初の一歩を、「ああ、また出来なかった…」という気持ちで、うなだれて学校へ向かって行くのを見るのは、辛いものでした。

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