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暴れる子リス

脱走事件は、単なる微笑ましいエピソードとして紹介してよいのかどうか、実はちょっと迷いがあります。というのは、子リスを置いて帰ったことや、聞き分けの悪い子リスをきつく叱ったりしたことが、もしかしたら、所謂トラウマになるほどのショックだったのではないかと思うことがあるからです。このころ子リスは、登園時には必ず私にアクタイをつき(悪態という程のことでもなかったのでしょうが…4歳の言うことにしては、こちらの受ける打撃が大きかった、ということです)、更に降園時にも、何かしら癇癪を起こすタネを見つけては、園庭や帰り道で私に戦いを挑んで来るのでした。なだめようと抱き上げると、私のTシャツを、襟が伸び切ってヨレヨレになるほど滅茶苦茶に引っ張ったり、血が出るほど私の耳をひねったり、私の頬が赤くなるほど叩いたり、それはすさまじいもので、私は、ボウリョク息子を一人抱えた気分でした。そんな時の私はというと、やはりなだめたりすかしたり、説得したり、説教したり、それでも暴れる時は力ずくで抱きかかえ、車のチャイルド・シートに無理矢理座らせて、家に帰り着くまで怒鳴っていたこともあります。自分が泣いてしまったこともあります。今考えれば、降園時に私に無理難題をぶつけて癇癪をおこしていたのは、幼稚園で一日、子リスなりに頑張ったり耐えたりした後、私の顔を見てほっとして、やり場のなかった気持ちを全部溢れさせてのことだったのでしょう。それを思うと、その時の子リスの気持ちを十分に受け止めてやれなかったことが、その後の集団生活への適応に何か影響を及ぼしているのではないか…と考えてしまったりするのです。「ママだいっきらい!」は、「ママ、ボクはこんなにたいへんなんだよ~」ということだったのに、「きらいなんて言う子はもう知らない!」なんて怒ったりして…。
これについては「そんなこと、親ならみんな言ってるわよ。」と言われそうですし、実際私も、いつも自分を責めている訳ではありません。でも、場面緘黙症が情緒障害であるということと向きあうと、時々こういう風に「原因探し」をしてしまいがちになることもあります。大切なのは「これから」だと、その度に自分に言い聞かせていますが…。
今の学説では、幼少期のトラウマは場面緘黙症の原因としては重要視しないのが主流ですが、私は、重要視しないまでも、子どもが何らかのショックを受けた可能性を心に留めておくことも、ある程度必要なのではないかと考えています。どのショックが緘黙症を引き起こしたのか?と考えるのではなく(実際、原因を特定することは難しいとされています。)、他の子どもに比べて、出来事を大きく受け止めてしまう敏感さ・繊細さがあることを理解することが、「これから」を考える上でも大切だと思うのです。