1.4歳まで

子リスの誕生

子リスが生まれたのは2000年1月。お腹の中にいる時からよく暴れ、でんぐり返り、しゃっくりをし、よく喋…っていたかどうかはわかりませんが、何だか出てくる前から、随分あれこれ私に要求して来るような気がする赤ちゃんでした。分娩代に上がってもまだお腹の中でアタフタと動いていている様子が分娩監視装置で観察され、慌て者であるらしいこともわかりました。それでも何とか出口を探し当てた様で、明け方4時8分、元気な産声を2度上げて、子リスは生まれて来ました。体重3,354グラム。新生児室でもよく動き、泣き、叫び、そして4日後、私達は退院して家に帰って来ました。新生児子リスとの生活が始まって数日。私は心の中で叫びました。「赤ちゃんって、眠ってるものなんじゃないの!?」

寝ない!

子リスが「すやすやと…」眠っていたという記憶が、私にはあまりありません。一日の大半を眠って過ごしていた筈の新生児時代でさえ、顔を真っ赤にして「ふぎゃあ~ッ」と泣いている子リスを、手を変え品を変え必死になって寝かしつけていたことしか思い出せません。長ーいこと抱っこしてゆすって、ようやく寝たと思っても、そっとベビーベッドに置くや否や、「ふぎゃあ~ッ」…で、振り出しに戻る。というようなことがずっと続き、私も、多くのお母さん達と同じように、「赤ちゃんはベビーベッドで眠っているもの」という思い込みが間違いだったことを悟ったのでした。(でもその後、やっぱり寝つきのよい赤ちゃんと、なかなか寝ない赤ちゃんというのがいて、子リスはまさに、絶対素直には寝ないタイプだということもわかりましたが…。)

おっぱい

それに、はじめのうち私はおっぱいが少ししか出なかったため、子リスはすぐにお腹を空かせて起きてしまうのでした。だから、“規定時間”である「3時間おき」なんてどこへやら、殆ど30分おき、短い時には15分~20分おきにおっぱいをあげていました。しまいには、おっぱいをあげた後しまうのが面倒になり、私はソファに座りっ放し、おっぱい出しっ放しで、ミルク・マシーンと化して次第にげっそりとやつれていったのです・・・。でも、その「泣いたらおっぱい」方式が功を奏して、次第におっぱいはやる気を出し、そのあまりの勢いのよさに子リスがむせてしまう程、たくさん出るようになりました。そして子リスは、朝も昼も夜も、夜中も、おっぱいを飲み放題に飲み、甘えん坊の「おっぱいっ子」になりました。子リスとおっぱいの関係はここから始まり、そしていろいろな局面を迎えながら、長~いツキアイになって行ったのでした…。(「おっぱいの話」もご覧下さい!)

話し始め:お喋り子リス

子リスが言葉を話し始めたのは、1歳になる少し前でした。始めは「ままままま・・・」と切れ目なく私を呼び、次は「ぱぱぱぱぱー」と主人を、こちらはなぜか息を吸いながらの発音でした。それからは、「カップ」は「プッカ」、「かぼちゃ」は「チャボカ」など、音節がひっくり返ったりしながら(すると「かば」は?当然「ばーかー!」でした。)、どんどんお喋りが増えて、毎日とても賑やかなことになって行きました。やがて歩き始めた子リスは、電車が大好きになり、夕方には必ず、駅前に電車を見に出掛けるのが日課となりました。駅前には、同じぐらいの年の、やはり電車好きの子ども達が集まっていて、私達は「駅前電車クラブ」と呼んでいたものです。子リスは毎日、お友達と電車を見ながらかけっこをしたり、持ってきた電車のおもちゃを走らせたり、毎日とても楽しそうに遊んでいました。お友達と手をつないだり、ぎゅっと抱きついたり、ということもよくあって、「ああ、この子は人が好きなんだなあ」と思ったことを覚えています。

1~2歳

駅前電車クラブの他に、この頃はよく、私が母親学級で知り合った友達と、親子連れで遊んでいました。子リスは他の子ども達と、何となくちょっかいを出し合ったり、おもちゃの取り合いをしたり、ごく普通の関わり方をしていたと思います。
2歳になった頃から、子リスが所謂「手のかかる子」「育てにくい子」の部類に入るのではないかと、ウスウス気付き始めました。やりたいことが出来なかった時など、パニック状態になって叫ぶ、平気で1時間ぐらい泣き喚き続ける、夜はなかなか寝ようとしない、間違って昼寝なんかしてしまった日は、どうやっても寝ない、…そんな状態が永遠に続くような気が、この頃はしていました。

3歳

3歳になると、今度は子リスの癇癪に複雑さが加わって、より大変になって来ました。相変わらず、計画したことが実行できないとパニック状態になっていましたし、夜の寝つきも悪いのに加えて、かなり反抗的な態度をとったりすることも増え、また、いろいろなことに対するこだわりが強く、ホトホト困ってしまうことがしょっちゅうありました。
(「スピリッツ・チャイルドの話」もご覧下さい!)
子リスが3歳になる少し前、幼稚園の募集期に、我が家でも「子リスは幼稚園、どうしようか…」と考えました。この地域では、年少から幼稚園に入れる家庭が多いのですが、年中まで待つ人たちも勿論います。そして結局、子リスが早生まれで、とても幼い感じがしていたこと、それから「こんなにムチャクチャな状態(パニックやかんしゃくのこと)では、とてもまだ手放せない…」と思ったことから、一年待つことにしました。
で、幼稚園に行かないので、家族や、おじいちゃん、おばあちゃん、つまり身内だけで過ごす機会が増えました。大人だけの中で随分大きな時間を過ごさせてしまい、結果として、同年代の子ども達と遊ぶ時間はかなり少なくなりました。
このことに関しては、ムチャクチャでもいいから、早く集団生活に入れてしまった方がよかったのかもしれないと、後悔したこともあります。でもこれはたら・ればの話ですし、当時のいろいろな要素があっての決断だったので、考えても仕方のない部分ではありますが…。

ただこの頃までは、私の知り合いや、電車の中で隣に座ったお爺さんに、「ぼくお名前は?」と聞かれたりすると、恥ずかしそうに、でもニコニコして、「こりすです。」と答えていたことを思い出します。決して積極的ではなかったけれど、声が出ないということではありませんでした。

2.幼稚園時代

入園

1年の猶予の後、4歳になった子リスは晴れて幼稚園に入園しました。
入園前は、ぬいぐるみを相手に幼稚園ごっこをしたりして、希望に胸を膨らませていた様でした。そしてやって来た入園式。子リスには、幼稚園に入ることが決まった時から、「幼稚園というのは、パパやママは送っていくけれど、後は先生やお友達と過ごすところなんだよ」と何度か言い聞かせてありました。というのは、遥か昔、私が幼稚園の初日を迎えた時、「じゃあね。」と私を置いて去って行く母の後ろ姿を見て、「ママと離れるなんて聞いてなかったよ~!」とパニックに陥り、泣き叫んだ苦い経験があるからなのです。そんな訳で、前もって事情を聞かされていた子リスは、幼稚園に着いて、夫と私だけが先に入園式会場に入って行く時も泣き出したりせず、少し不安そうな顔で、先生と一緒に私達に手を振っていました。「大丈夫かも…。」
しかし!入園式がすすむにつれ、保護者席から少しだけ見えていた子リスの横顔が…あれ、泣いてる。あーあ、だんだん大泣きになって…先生の膝に抱っこされてる…。こんなに長い時間私や夫から離れて、知らない人達の中にいたのは初めてでしたから、まあ無理もありません。やがて入園式が終わり、入園生達とその保護者はみんな、それぞれ教室に入りました。

担任の先生はF先生。24歳(当時)のかわいらしい先生です。
F先生: 「じゃあ、みんなのお名前呼ぼうか。お名前呼ばれたらどうしよう?」
園児1: 「『ハイ』っておへんじする。」
F先生: 「そうだね。じゃあ、手を挙げて『ハイ』って言えるかな?」

子リス以外の園児達は、頷いています。しかし子リスはここで、「そんなのトンデモナイです」と言わんばかりの様子で、思い切り首をヨコに振りました。それに素早く気付いたF先生は、

F先生: 「もし言えなかったら、『ここにいるよ』って、おててを挙げて教えてくれるかな?」
子リス: (『それなら、できる』という様に頷く。)
F先生: 「じゃあ…最初は…Nくん!」
N君: 「 ハイッ!」
子リス: (『えっ、そんなにりっぱにおへんじしちゃうの!』という感じでN君を見る。)
ちなみにこのN君は、卒園した今でも子リスにとって一番のお友達です。

何人かが呼ばれて、みんな元気にお返事をした後、
F先生: 「子リスくん!」
子リス: (膝の上においた手を、そのままちょこん、と上を向けました。)
F先生: 「はい、わかったよ。」
子リス: (ほっとした様子)

こうして、子リスの幼稚園生活が始まりました。

子リス脱走する

入園式の後2~3日は、午前保育です。11時半に迎えに行くと(子リスの幼稚園は園バスを持たず、親が送り迎えをします。これは園長先生の方針です。)、子リスはニコニコして出て来ました。教室の中でお絵描きをしたり、粘土で遊んだりして楽しく過ごしていた、ということでした。でも「なーんだ、大丈夫そう…」と思ったのは束の間でした。午前保育の期間が終わってお弁当が始まった日、2時に迎えに行くと…2階の教室から、ヒック、ヒックとしゃくり上げながら降りてきたのは子リスでした。主任のK先生が「タイムリミット…」と言いながら付き添って下さっています。9時から2時まで5時間、子リスにとっては相当長い時間だったようです。
それからはもう、幼稚園に行き渋るのが殆ど毎朝のことになりました。なだめたりすかしたりして何とか車に乗せ、幼稚園まで行っても、スキあらば逃げて家に帰ろうとします。物凄い力で私を振り切って走るその逃げ足の速いこと。子リスにしてみれば必死だったに違いありません。最後は泣きながら私に「バイバイ」することになるのですが、先生の話では、それでも子リスは諦めず、その後教室には入らずに、ベランダからじっと園庭を見つめて一日過ごしているということでした。あまりにもずっと、ベランダの格子につかまってしゃがんだままじっとしているので、先生達は、子リスの顔がシマシマに日焼けするのではないかと本気で心配したそうです。

子どもが幼稚園で親と離れたがらない時、親がすることは、なだめる、励ます、叱る、それでもダメなら、残るはやはり「置いて帰る」しかないでしょう。賛否両論あるでしょうが、その場になると、選択肢はそれしかないように思われるものです…。で、私もやってみました。子リスがいつにも増して聞く耳を持たず、どうにもなだめようがなく、にっちもさっちも行かなくなった日に、「じゃあね、ママは帰るから。」と子リスを残し、私は全力で走って車に乗り、帰って来ました。
その後のことは、先生から聞いた話です。子リスは、走り去った私に対する怒りをそこら中にぶちまけ、大好きなF先生にまで悪態をつき、延々と泣き喚いていたそうです。「あんなおうち、もうゼッタイにかえらない!」とまで言ったとか。そして、あまりにも怒った子リスは、先生の手を振り切り、園庭を駆け抜け、幼稚園脱走を試みましたが、柵をよじ登ったところで先生2人に捕獲されたということでした。後になってから、「幼稚園から逃げ出してどうしようと思ったの?」と聞いてみたところ、
「おうちにかえろうとおもったの。」
あんなおうち、ゼッタイにかえらないんじゃなかったんだ。私はちょっと切なくなりました。そんなにおうちがいいんだ…。それからある時は、迎えに行った私の姿を見つけると、子リスはぎゅっと私に抱きついて来て、幼稚園の玄関から駐車場までずっと離れませんでした。そして抱っこしたまま、「どうしてこんなにママのこと好きなんだろう…」。私は、子リスのこの言葉を一生覚えておこう、とその時思いました。
でも、いくら大事な子リスがおうちがよくても、ママのことを好きでいてくれても、ママのそばだけにずっと置いておくわけにはいかないから、少しずついろんな世界に慣れていかなくちゃね…。

暴れる子リス

脱走事件は、単なる微笑ましいエピソードとして紹介してよいのかどうか、実はちょっと迷いがあります。というのは、子リスを置いて帰ったことや、聞き分けの悪い子リスをきつく叱ったりしたことが、もしかしたら、所謂トラウマになるほどのショックだったのではないかと思うことがあるからです。このころ子リスは、登園時には必ず私にアクタイをつき(悪態という程のことでもなかったのでしょうが…4歳の言うことにしては、こちらの受ける打撃が大きかった、ということです)、更に降園時にも、何かしら癇癪を起こすタネを見つけては、園庭や帰り道で私に戦いを挑んで来るのでした。なだめようと抱き上げると、私のTシャツを、襟が伸び切ってヨレヨレになるほど滅茶苦茶に引っ張ったり、血が出るほど私の耳をひねったり、私の頬が赤くなるほど叩いたり、それはすさまじいもので、私は、ボウリョク息子を一人抱えた気分でした。そんな時の私はというと、やはりなだめたりすかしたり、説得したり、説教したり、それでも暴れる時は力ずくで抱きかかえ、車のチャイルド・シートに無理矢理座らせて、家に帰り着くまで怒鳴っていたこともあります。自分が泣いてしまったこともあります。今考えれば、降園時に私に無理難題をぶつけて癇癪をおこしていたのは、幼稚園で一日、子リスなりに頑張ったり耐えたりした後、私の顔を見てほっとして、やり場のなかった気持ちを全部溢れさせてのことだったのでしょう。それを思うと、その時の子リスの気持ちを十分に受け止めてやれなかったことが、その後の集団生活への適応に何か影響を及ぼしているのではないか…と考えてしまったりするのです。「ママだいっきらい!」は、「ママ、ボクはこんなにたいへんなんだよ~」ということだったのに、「きらいなんて言う子はもう知らない!」なんて怒ったりして…。
これについては「そんなこと、親ならみんな言ってるわよ。」と言われそうですし、実際私も、いつも自分を責めている訳ではありません。でも、場面緘黙症が情緒障害であるということと向きあうと、時々こういう風に「原因探し」をしてしまいがちになることもあります。大切なのは「これから」だと、その度に自分に言い聞かせていますが…。
今の学説では、幼少期のトラウマは場面緘黙症の原因としては重要視しないのが主流ですが、私は、重要視しないまでも、子どもが何らかのショックを受けた可能性を心に留めておくことも、ある程度必要なのではないかと考えています。どのショックが緘黙症を引き起こしたのか?と考えるのではなく(実際、原因を特定することは難しいとされています。)、他の子どもに比べて、出来事を大きく受け止めてしまう敏感さ・繊細さがあることを理解することが、「これから」を考える上でも大切だと思うのです。

こだわる子リス

場面緘黙症の子どもに共通して見られる特徴の中に、「完璧主義である・物事が決まった方法でなされることにこだわる」ということがあります。子リスも類に漏れず、タイヘンな「こだわり屋」です。子リスのこだわりが始まったのは、「魔の2歳」と言われる、あの時期でした。でもまだその頃は、例えば「このお店ではアンパンマンの飴を買う」と(自分で)決めているのにその飴がなかった時、1時間ぐらい泣き続ける、という程度の(!)ものでした。それが、幼稚園年中時代の前半、子リスの「こだわり」はピークに達しました。まず朝の支度の時、髪の毛をとかすのに、鏡台の上に4本の櫛を並べます。そしてその中から、右手に一本、左手に一本持って髪をとかします。次は残った2本をまた右と左の手に持ちます。その次は、最初に右手に持っていた櫛と、2回目に右手に持っていた櫛を使う…という風にして、6通りの組み合わせで櫛を使うのです。もし4本のうち1本でも見つからなかったら大変です。「ないよ。ないよ。どうする!?」と慌てふためき、もう支度が出来なくなってしまいます。夜は夜で、決まり事がいくつもありました。歯磨きをする時は、テーブルの上にアンパンマンの指人形を10個並べて、その人形達に歯磨きを「見学」させる。勿論並べる順番も決まっている。歯磨きが終わったら、人形達に感想を聞く。その日に並べる予定の10個の人形のうち、もし一つでも見つからなかったら…全てがそんな調子でした。その頃私は、「日常生活の中で、スムーズに行くことって殆どない」と感じていました。同じタイプのお子さんをお持ちの方ならおわかりかと思いますが、子リスのこだわりを、「そんなこといいでしょ」で片付けられれば苦労はしないのです。いい加減で諦めさせようとする時の大変さといったら…今思い出してもドッと疲れを感じるほどの労力が必要でした。ハンパでないこだわりを見せる子リスに困り果てながら、「大丈夫なのかしら」と時折心配もよぎりました。一度子リスに、どうして決めたことが出来ないとそんなに大騒ぎするのかと、マジメに聞いてみたことがあります。すると子リスの答えは意外にも「怖いの」とのこと。計画や予想通りでないことが起こりそうな時、どうやら子リスはとても怖く感じるらしいということが、少しわかりました。
それから、このこだわりは、子リスが新しい環境に入れられた時や、初めてのことをする日が近づいて緊張している時に強くなることも段々わかってきました。後で知ったのですが、緊張に対応する手段として、子どもはよく「こだわり」を見せるのだそうです。
このころの子リスは、幼稚園入園後でまさに緊張の真っ只中。こだわりがひどかったのはそういうことだったのですね。でも、なにも櫛を4本使わなくたって…と、思ってしまいますよねえ?

幼稚園での子リス:年中時代

入園して数ヶ月間、子リスは工作やお絵かきなど、クラスで一斉にやる活動を何もしませんでした。それどころか、みんなが座っている時は立っていて、みんなが立っているときは座っている、という様な状態が、夏休み前ぐらいまで続きました。その後次第に、製作などの活動はみんなとほぼ同じペースでやるようになりましたが、歌を歌う・手遊びをする、お祈りをする(教会の幼稚園でした)など、音や声を伴う活動は一切しませんでした。
朝出席をとる時も、手は挙げますが声は出しませんでした。
担任のF先生は、そんな子リスを初めからそのまま受け入れ、まっすぐに向き合って下さいました。子リスが「次に何が起こるかわからない」状態を非常に不安に思うことに気付いて、幼稚園での一日の流れ(時間割)を紙に書いて子リスに持たせてくれました。子リスはそれをお守りのように大事にポケットに入れて、幼稚園にいる間中、時々それを出しては「今は遊びの時間。あと2つでお弁当。それからあと3つでお帰り」と確認していたようです。やがて流れを覚えると、その紙を持っている必要はなくなりましたが、最初のどうしようもなく不安だった時期に、F先生のくれたあの時間表は、子リスにとってまさに安定剤のようなものだったと思います。
このころは、先生に個人的に(みんなの輪の中ではなく)何か聞かれた時は、声を出して答えていたようです。また、自分のやりたいことがあると、先生に「先生、いつトントン相撲であそんでくれますか?」などと聞いたりすることもしていました。それから、一人でいることが多かった子リスは、独り言を言いながら遊んでいる時もあったようです。
でも、お友達に対しては自分から話しかけたりすることはありませんでしたし、反対に何か聞かれても声は出さず、首の返事をするだけでした。お友達と手をつなぐことも、子リスにとっては難しいことでした。ある時「あーあ、ボクにもキツネザルみたいなシッポがあればいいのになあ」というので、「どうして!?」と聞くと、「シッポなら、つないでもはずかしくないと思う。」これはカワイイので笑ってしまいましたが、このあたりから、「子リスが幼稚園でやっていないこと」の多さが段々気になり始めました。

トイレのこと

もう一つ気になっていたのは、トイレのことでした。
まず年中の10月ぐらいまでは、幼稚園でトイレに行くことが出来ませんでした。朝9時に幼稚園に着いたら、2時の降園まで一度もトイレに行かずに過ごし、迎えに行くと、私の手を引っ張って職員用のトイレに駆け込む、という具合でした。
それが、ある日突然トイレに行けるようになったのです。それは、10月の公開保育日(来年度の入園生のために幼稚園説明会および幼稚園の公開をする日)でした。同じマンションに住むMさんが、娘さんのSちゃんを連れて子リスの幼稚園を見に来ました。Sちゃんは子リスより2歳年下で、日ごろから子リスはSちゃんの前では「お兄ちゃん」として振舞っています。Sちゃんが子リスの教室に入って来てしばらく経った時、子リスが私のところに来て(その日は在園児の保護者も参観出来たので、私もその場にいたのです)、「ママ、トイレにいってみようかな」と言うのです。そして今度はF先生のところに行き、小さい声で「トイレ…。」F先生はさりげなく、「行っておいで。」と言ってくれました。子リスは、トイレの前まで行っては戻り、行っては戻りを5・6回繰り返した後、ついに意を決してトイレに入り、目的を達して出てきました!これは間違いなく、Sちゃんがいたからです。
自分がお兄ちゃんにならなければいけない様な状況が、子リスには大事なのかもしれません。

これでトイレには行けるようになりましたが、その後今度は、度々頻尿に悩まされました。行事の前や、家で何かあって不安を感じたような時、幼稚園でも家でも、何度も何度もトイレに行くのです。ひどい時にはトイレから戻ってすぐにまた行きたくなったり、それで出なくて泣きそうになったり…ということもありました。インターネットで調べたり、周りの人に聞いてみたところ、子どもの頻尿は叱ったりせず放っておくのがよい、ということでした。それで私もF先生も、行きたいだけトイレに行かせているうちに、確かに治りましたが、また新しい行事が近づくとトイレ通いが始まる…という調子でした。

行事

あれこれありながらも、何とか1期・2期と過ごして、気が付くともう12月でした。登園時、あんなに毎朝泣いて暴れていた子リスも、時々しか泣かなくなっていました。
子リスの幼稚園で、一年の中で一番大事な行事はクリスマス会です。年中組は毎年、クリスマス会でページェント(生誕劇)をします。子ども達が、ヨセフやマリア、天使や羊などの役になって、イエス・キリストの生誕にまつわるエピソードを演じるのですが…子リスはどうするのでしょう…。これまで、運動会、お芋掘り、お料理会など、いろいろな行事がありましたが、その度に子リスはタイヘンな思いをして来ました。もうじき行事があると知ると、それは子リスにとっては「楽しみ」どころか「いつもと違う不安なこと」でしかありませんでした。運動会の前には「運動会の日は休みたい」と駄々をこね、お芋掘りの朝には「どうしてお芋掘りは今日なの!?」と泣き、朝幼稚園に着いた時に「子リス君、今日はお楽しみがあるよ」と誰かに聞かされれば「お楽しみがしんぱいなの~」とベソをかく始末。でも、どの行事も終わった時には必ず、「楽しかった!来年の○○も楽しみ。」と大喜びで、その度に「一つ乗り越えた」誇らしい笑顔を見せてくれました。

クリスマス会の練習が始まったと聞いた時、今度は何と言って不安がるのかと思っていましたが、見ているといつになく張り切った様子で、練習の様子を嬉しそうに話したりしています。役も、羊天使(イエス様が生まれたことを羊達に告げる天使達)になりたいと自分で希望したというのです。
そしてクリスマス会本番の日、幼稚園の教会の礼拝堂で、年中組のページェントが始まりました。子リスは、頭に白い布をかぶって輪で止め、他の羊天使達の先頭で舞台に出てきました。台詞は役ごとに(それぞれの役が数人ずついます)皆で声を合わせて言うのですが、子リスはとうとう一度も口を動かしませんでした。
それでも、子リスが皆と一緒に前に出て(しかも先頭で!)ページェントに参加しているだけでも私には信じられないことでした。F先生に、「クリスマス会にはハンカチが必要かもしれませんよ」と言われていたのですが、確かに、ハンカチを持って行って正解でした。
帰り道、ふと思いついて、「子リスは今度は『クリスマス会が心配なの』って泣かなかったねえ。」と言ったら、「ホントはしんぱいだったの。でも、今まで運動会もお芋掘りも、やってみたら全部楽しかったから、もしかして今度もだいじょうぶかなーって。」
子どもの、自ら成長する力を見た瞬間でした。

年長時代:喋らなくなった子リス

年長でも、担任の先生は前年に引き続き、子リスの大好きなF先生でした!子リスは勿論大喜びです。始業式の朝は不安で泣いていたのに、帰りはスキップしてしまう程でした。幼稚園の中で一番のお兄さん・お姉さんである「年長さん」になったことで、子リスは随分変わりました。まず、行事を楽しみに思うようになったこと。お友達のそばにいるようになったこと。他の先生にもなつくようになったこと。
年中の頃は、お友達とはあまり関わらず、一人で過ごしたり、後はひたすらF先生の行くところへついて行って一日を過ごしていたのですが、年長になってから、だいぶお友達に対する関心が強まって来たようでした。自分は決して参加しないものの、お友達が鬼ごっこや大縄跳びをしている時、必ずそばにいて楽しそうに見ていたり、たまにちょっかいを出してみたりするようになりました(大縄を手でつかんでジャマをし、女の子達に「子リスくん、だーめ!」と叱られ、羽交い絞めにされて喜んでいたりもしたそうです…)。幼稚園からの帰り道、「今日は何をして遊んだの?」と聞くと、10日のうち8日ぐらいは「おともだちかんさつ。」残りの2日は「せんせいを追いかけてた。」と答えていました。親としては、一日中、お友達を見たり先生の後をついて歩いていたなんて…と切なくなったりもしましたが、でも見ていると本人は、本当に「お友達観察」を楽しんでいるようなのです。そう言えば私も小さい時は、「見ている」のが好きだったなあ…。

年長になって、幼稚園生活がぐっと楽しいものになったことは、子リスの朝の様子や、帰り道での話からよくわかりました。「いい調子かもしれない」と思っていた矢先、F先生が心配そうに、「子リスくん、喋ってないんです」と知らせて下さいました。
どういう訳なのか、年長になってから、子リスは全く声を出さなくなってしまったのです。年中の時は、先生とだけは小さい声で話したり、独り言を言ったりしていた筈なのに、それさえもしなくなってしまったというのです。年長になってすぐに何かがあったのか、それとも少し大人になって自意識が強まったと同時に、年中から持っていた不安や恐怖が膨らんでしまったのか、その辺りはわかりませんが、とにかく子リスは「声」を一切出さなくなりました。
喋らなくなった代わりに、先生方からよく「子リスくんは表情がとても豊かで面白いですよ」と言われるようになりました。おそらく、いろいろな表情を見せることは、話せない子リスにとってのコミュニケーション手段だったのだろうと思います。
年長時代、行事や日々の遊びの中でいろいろなことを経験し、子リスなりに楽しく一年過ごしましたが、「声を出して返事をする」「歌う」「質問に答える」など、音や声を伴う活動はついに一度もしないままでした。

卒園

そして気が付くと、子リスはもう卒園を迎えていました。卒園間近になって、子リスはますます先生達に懐き、毎日にこにこと幼稚園で過ごしていました。そして時々私に、「ママ、ボクがもし卒園式でおへんじしたらどうする?」と聞いて来たりします。「もし子リスがお返事したらママびっくりしちゃうなあ。」と答えると、「卒園式だもん。おへんじするよぉ。」と言うのです。本人が言うのだから、もしかしたらするかもしれない、と思いましたが、プレッシャーになってはいけないので、それ以上はお返事についての話はしませんでした。

そしてついに卒園の日です。教会の礼拝堂に並んだ子ども達はみんな、いつもとは違って、少し大人びた顔に見えました。担任の先生が一人一人名前を呼び、呼ばれた子は「ハイ」と返事をして園長先生の前に歩いて行き、卒園証書をもらって席に戻ります。
子リスの番が来ました。

F先生: 「子リスさん。」
子リス: (・・・)
私が座っていた所からは子リスの様子は見えませんでしたが、子リスが声を出そうとしている雰囲気が、なぜか伝わって来ました。でもとうとう声は、出ませんでした。
声が出なかった子リスは、動くことも出来なくなってしまいました。多分子リスは、「ハイ」と声を出し、そして歩いて行くことを考えていたのに、その声が出せなかったので一気に緊張して(もしかしたら少しパニック状態になって)体が固まってしまったのだと思います。しーん、とした時間がとても長く感じられました。他のお母さん達も、心配そうに子リスの様子を見てくれています。
壇の上から、園長先生とF先生に優しく手招きされて、子リスは何とか、歩き出しました。そして園長先生から卒園証書をいただいて、戻って来ます。
「出来なかった…」という顔でした。でも、F先生は、子リスが一生懸命声を出して返事をしようとしていた所を見ていて下さいました。そして体が固まってしまったけれど何とか前へ出て来た様子も。F先生はその後しばらく、涙声でした。

2年間、F先生と幼稚園が子リスに与えてくれたものに対して、私達は今でもとても感謝しています。それから、クラスの子ども達やお母さん達がいつも暖かく接してくれたことも、いつも心にあります。
子リスが答えられない時に、代わりに答えてくれたお友達。子リスが首の返事だけで答えられるように、質問の仕方を工夫してくれたお友達。くすぐったら声を出した!と喜んでくれたお友達。「子リスくんのお母さん!今ね、子リスくんがしゃべったよ!『あっ』って!」と私に報告してくれたお友達。毎日園庭でお喋りしながら、一緒に子ども達を見守ったお母さん達。そして、子リスをさりげなく自然に受け入れながら、いろいろなことを乗り越えさせて下さった先生方。一貫して「特別扱いはせず、でも無理強いはせず」という向き合い方をして下さったことで、子リスは、自分が受け入れられているという安心感と、しっかり導かれているという信頼感を持つことが出来たと思います。そして、2年を通して何より心に残ったのは、子リスに限らず子ども達一人一人に対する、先生のひた向きさでした。それはきっと子ども達みんなの心に響いていると思います。子リスが幼稚園時代に喋ることはありませんでしたが、喋ることは成長のほんの一部と受け止めたいと思います。それよりも、幼稚園で皆にそのまま受け入れてもらって過ごした経験そのものが、時間が経てば経つ程、子リスにとって大切な財産になって行くのではないかと思っています。

3.小学校入学~

入学

子リスが小学生だなんて。初めて子どもが小学校に上がる時の親(母親)の気持ちって、こんなものなのかしら。喜びの何倍も寂しさがあることに気付いて、私は少々戸惑っていました。毎日幼稚園に送り迎えをしていたのが、家から「行って来ます」と出掛けて行くようになる、とか、ドングリ帽子を被って(子リスの幼稚園は制服がありませんでしたが、お揃いのベレー帽だけありました。)幼稚園カバンを斜めに掛けて行っていたのが、ランドセルを背負って行くようになる、とか、いろいろな変化があります。でもそれだけではなくて、小学校に入るということは、一段、私の手から離れることを意味するような気がして、本当にとても寂しく感じました。情けないハナシですが、夜に子リスの寝顔を見ている時、ずっと小さいままでいて欲しくて泣いてしまった日もあります。(でも入学後1ヶ月もしないうちに、『お弁当も作らなくていい、自分の時間はたっぷりある、子どもが小学校に行くとラクだなあ~!』とホクホクしていたこともここに告白します…)
とにかく入学の日はやって来ました。学校に着いて受付を済ませると、6年生のお兄さんが新一年生を教室まで連れて行ってくれます。半年前に就学時健診で学校に来た時、私と離されることに抵抗した子リスが大泣き・大暴れした記憶が蘇り、「うっ、大丈夫かな?」と一瞬心配しましたが、大丈夫でした。小学生になる覚悟は出来たようです。
ひとまず安心した夫と私は、入学式場である体育館に入り、ドキドキしながら待っていました。

「新一年生の、入場です!」
♪さくらさいたら 一年生 ひ・と・り・で・いけるかな♪

私は、子リスの姿が見えるずっと前から、もう泣き出してしまいました。「一年生」って、それだけで胸が一杯になってしまいます。やがて我が家の小さな子リスくんも、女の子と手をつないで、マジメな顔をして入って来ました。30人学級×5クラス、150人の新入生が揃って、入学式が始まりました。

A先生

子リスの入学で何より気になっていたのは、子リスは一体どんな先生に当たるんだろう、ということでした。小学校の先生は、幼稚園の先生とは雰囲気も、生徒に対する態度も違うんだろうな…。幼稚園での担任F先生の存在がとても大きかったので、余計にもこれからが不安でした。
入学式で、各クラスの担任の発表がありました。そして子リスのクラス、1年1組は…A先生という、男の先生でした。(F先生と同じ、26歳の若い先生です)。何となく一年生の先生は女の先生というイメージがあったので、男の先生ということはとても意外でしたが、私はA先生の姿を見て、直感的に「あ、よかった。」と思いました。うまく説明出来ませんが、子リスのことをわかってくれそうな気がしたのです。直感は正しく、子リスは入学式の日から、A先生のことが大好きになりました。そしてこの日から、A先生には「数々のお手数」をお掛けすることになるのです…。

お返事は…

入学式が終わり、一年生と保護者は各クラスに分かれて入りました。
1年1組の教室で、子ども達がA先生を見つめています。

A先生: 「みんなに会えるのを、先生はとっても楽しみにしていました。」
子ども達: (ニコニコ)
A先生: 「今日はね、先生の他にもう一人、みんなに会えるのを楽しみにしていた人がいるんだよ。」
子ども達: (だれ?だれ?)
えっ、誰なんだろう?と父兄もザワザワ。
すると教壇の机の下から、ジャーン、と、パンダ(パペット)が出て来ました。子ども達は大喜びです。子リスも喜んでニコニコしています。子リスもこういうのが大好きなのです。
ひとしきりパンダで遊んだ後、いよいよ、一人一人名前を呼ばれる時が来ました。
卒園式では、おへんじしようと思っていたけれど出来なかった。でも小学校に行ったら出来る。誰に言われた訳でもないのに、子リスは自分でそう決めていました。新しい先生、新しい友達。子リスが幼稚園で喋れなかったことを知っている人はここには誰もいません。新しいスタートを切るチャンスです。
A先生は、名前を呼ぶとその子のそばまで行って、一人一人と握手をするのでした。これなら大丈夫かも知れない!うんと小さい声でいいから「ハイ」って言ってごらん…。1回言ったらきっともう大丈夫だから。

A先生: 「子リスくん!」
子リス: (・・・)
言えませんでした。でもA先生は優しく子リスの手を取って握手をして、頭を撫でてくれました。
子ども達は、興奮して段々声が大きくなって行きます。反対に、子リスは段々小さくなって行きます。後ろから見ていたら、座っている子リスの姿勢が段々低くなっていくのです。「またできなかったなー」と思っているのでしょうか。
やがて教室での時間も終わりました。
A先生:「じゃあ来週から、元気に学校に来てください。さようなら!」
子ども達:「さようなら!!」
解散になるや否や、私はA先生を捕まえて、
「先生、なるべく近いうちに時間をとっていただけますか」と言っていました。

小学校生活が始まって…

A先生は、翌週すぐに面談の時間を作って下さいました。そこで私は、子リスの幼稚園での様子やもともとの性格などをお話して、これからのことをお願いしました。先生はじっくりと話を聞いて下さり、私は何よりもそのことに、とてもほっとしました。子リスという子どもを、既成のタイプにはめて納得しようとするのではなく、私の話をそのまま受け止めて理解しようとしているのが感じられたのです。それはA先生の若さのせいだけではないような気がしました。
まだこの時点では、私は「場面緘黙症」という言葉も知らずにいました。
振り返ってみれば、子リスが家族以外の人と話をしないことに気付いたのは、幼稚園に入園した、4歳の頃でした。でもその時は、何と言っても初めての集団生活、多少緊張するのは仕方がない、としか思っていませんでした。周りの人達からは、「そのうち慣れて喋るようになるよ。」「大人になっても喋らない人はいないから。」「小学校に入れば喋り出すわよ。」と励まされ、そして母親である私も、「私だって相当おとなしくて引っ込み思案な子どもだったけど、今は普通に社会生活を送っている。だから子リスだってそのうち…。」と自分に言い聞かせながら様子を見て来たのです。

ところが小学校に入って数ヶ月経っても、子リスは一向に喋り出しません。幼稚園に引き続き、朝出席を取る時の「ハイ」という返事が出来ず、国語の音読も勿論学校では出来ません。友達に話しかけられても、首で返事をするばかり。更に子リスには、人前で服を脱げないという性癖もあり、水着でプールに入ることや、健康診断で上半身裸になるということも出来ません。流石にこれは何か問題があるのでは…?と心配が心を掠め始めた頃、幼稚園からの子リスのお友達N君のお母さん(日記に時々登場する“マリーさん”です)が、一冊の本を貸してくれました。それが、私が場面緘黙症を理解する基礎になった、Helping Your Child with Selective Mutism という本だったのです。(マリーさんは以前、幼稚園の先生をしていて、子リスと同じ状態のお子さんを受け持ったことがあったのだそうです。)

子リスの「場面緘黙」

子リスがその「場面緘黙症」というものに当てはまるかも知れないと知ってから、私は遅ればせながら、インターネットや本で勉強したり、病院を調べたり、市の保健センターに相談に行ったり…ということを始めました。
子リスは全く、「場面緘黙症」の条件にぴったり当てはまっています。
つまり、家にいる時はうるさい程お喋り(まさにchatterboxです!)なのに、学校(以前は幼稚園)に行くと一言も喋らなくなるのです。夫や私の実家に行くと、子リスの祖父母・おじ・おばとはよく話します。一方、場所は自分の家であっても、自分や私の友達が来た時など、私とは話しますが、その友達と直接話すことはありません。また、子リスはピアノを習っているのですが、ピアノの先生とも喋ることはありません。つまり、今のところ子リスは、家族・親族以外の誰かと直接話をするということはないのです。
学校では、誰とも一言も話さずに過ごしているわけですが、それでも不思議なことに、子リスは小学校に上がって以来、毎日当然の様に(むしろ張り切って)登校しています。また、休み時間に皆でやる鬼ごっこなどには参加するようになりました。(幼稚園の時には、“お友達観察”に徹し、決して遊びに参加することはありませんでした。)
場面緘黙症の子どもに対する周りの印象が、「不思議な子」というものであることが多い、とどこかで読んだことがありますが、全く、その通りだろうと思います。家での子リスの様子を見たら、先生も、クラスのお友達も、どんなにびっくりすることでしょう!

場面緘黙症を理解すること・子リスを支えること

場面緘黙症の子どもは「話さないのではなく話せない」のだということをきちんと理解するのは、特に親にとっては簡単でない場面もあると思います。頑ななまでに話さない我が子を見ていると、“目を覚まさせて”やる必要があるように思い、「やらなくちゃならないことはやらなくちゃいけないのよっ!」と言ってしまったりしたことも、過去にはありました。でも次第に、子リスは話すことを期待されている時、声を出したくても本当に声が出なくなってしまい、時には体が固まってしまうことさえあるということがはっきりとわかって来ました。それから私達は、子リスに話すことを強要するのを止めました。

子リスの性格は?「ひょうきん」「エネルギッシュ」「かわいいものが好き」「計画を立てるのが好き」「こだわる」「新しい環境に慣れるのに時間がかかる」「新しいことに挑戦するのにも時間がかかる」「怖がり」「好奇心が強い」「好きなことに関してはマニアック」「頑固」「意外と能天気」「人が好き」「正義感が強い」「味・匂い・皮膚感覚が過敏」「あまのじゃく」「仕切りたがる」「頼られると俄然しっかりする」「負けず嫌い」「プライドが高い」「ものすごく甘えん坊」「優しい」etc. etc….

話せないこと(話すこと)は子リスのほんの一部です。こんなに色々、面白い面を持っている子リスの個性が、出来るだけ真っ直ぐに伸びて膨らんで行けるように、親として支えたり守ったり、応援したりして行きたいと思っています。でも子リスは、親である私達だけに支えられているのではありません。子リスは先生やお友達、たくさんの人達の中でとても多くの時間を過ごしていて、そのこと自体が子リスの成長を支えてくれているのだと、私は日々感じています。
また、子リスの場面緘黙症に取り組み始めてから、私自身にも沢山の出会いがありました。その一つ一つの出会いに感謝しながら、これからも子リスの成長記録を綴って行きたいと思います。