子リスは私に似て、とても甘えん坊です。おっぱいも大好き。おっぱいっ子の子リスのお陰で、私はおっぱいについて色々と学ぶことが出来ました。子リスが生まれて、初めておっぱいを飲んだ時から、5歳で卒乳するまでの「子リスとおっぱいの歴史」を綴ってみました。

おっぱいの記憶

私は小さい時、おっぱいが大好きな子どもでした。離乳したのは2歳半。今でこそ「自然卒乳」ということが勧められたりしていますが、当時(三十ウン年前)としては、2歳を過ぎてもおっぱいを飲んでいるのは、相当の甘えん坊(及び相当な過保護)と言われた様です。おっぱいを飲まなくなった後も、随分長い間、淋しくなったり甘えたくなったりすると母のおっぱいをさわったり、顔をうずめたりしていたものでした。日曜日の朝、カーテンを通して朝の光が部屋に入って来るのを感じながら、まだぼんやりとした意識のまま母の布団に入って腕の中に潜り込むと、目の前に母の胸があって、そこは一つの世界の様でした。その中で甘い匂いを吸い込むと、もう一度眠りに落ちてしまいそうになるほど、その世界は心地よく、幸せな場所でした。そんな訳で、おっぱいがどんなにいいものかという記憶が強く残る私は、自分がお母さんになって、赤ちゃんにおっぱいをあげる日を、ずっと夢見ていました。
そして念願のその日がついにやって来ました。

初めての授乳

子リスが生まれた次の日、看護婦さんが、私のところに子リスを連れて来てくれました。私は初めて、自分の子どもを抱っこしました。(ホントは生まれてすぐ抱っこしたかったのですが、病院の方針でそれは叶いませんでした。)生まれたての赤ちゃんはとても小さくて、おまけにふにゃふにゃなので、どこを支えて抱いたらいいのかわかりません。抱っこの仕方を間違えたらこわれてしまうんじゃないかと思うものだから、恐る恐る、です。何しろ、赤ちゃんも生まれたてなら、私だってお母さんになりたてなのです。でも、看護婦さんはやさしく、抱っこのしかたを教えてくれたり、おっぱいがよく出るようにマッサージをしてくれたりしました。私は、「赤ちゃんが痛くないように」と緊張しながら、そーっと子リスを抱っこして、おっぱいのところに子リスの顔を近づけてみました。(ちゃんと吸えるのかしら…)すると子リスは、おっぱいが鼻のあたりまできた時、小さな口をあけてぱくっとおっぱいをくわえ、すぐにちゅっちゅっと吸い始めたのです。あ、吸った…。
本当に赤ちゃんには本能というものが備わっているんだなあ、としみじみ思いました。生まれたてでも、誰も教えてくれなくても、ちゃんとおっぱいが飲めるように出来ているなんて、やっぱりすごいことです。この力がなければ赤ちゃんは生きていけないのだから当たり前なのですが、私はすっかり感心してしまいました。赤ちゃんが、私のおっぱいを吸っている…。こんなに小さいのに、ちゃんと自分で吸っている…。それは本当に幸せな感覚でした。

授乳時間割

ところでこの時、私のおっぱいはほとんど出ていませんでした。ほんのちょっと、乳首の先にしずくが3・4滴にじむだけ。初乳には、赤ちゃんに必要な栄養がたくさん入っている、と聞いていたので、少しでもたくさんの初乳をあげたいと思い、一生懸命おっぱいを温めたり、マッサージをしたりしましたが、それでもなかなか出ませんでした。結局病院では、「おっぱいだけでは足りないので、混合栄養になります。」と言われました。私は本当はおっぱいだけをあげたかったので残念でしたが、子リスに十分な栄養を与えられないのなら仕方がありません。指導通り、おっぱいの後に粉ミルクを調合して子リスに飲ませました。病院からは、おっぱいとミルクの「時間割」を渡されます。それには、朝から夜まで3時間ごとに、赤ちゃんにあげるおっぱいとミルクの量が書いてあります。

朝7時:おっぱい 右5分・左5分。
ミルク 40cc

という風に。お母さん達は、その表に従って、時間が来ると赤ちゃんにおっぱいとミルクをあげるのです。まず粉ミルクを哺乳瓶に入れて、ポットのお湯を注ぎ、よく混ざるように振ってミルクが出来たらテーブルの上に置く。それから、タオルでおっぱいを温めてから赤ちゃんを抱っこして、右のおっぱいを5分間、左のおっぱいを5分間、吸わせる。その後、哺乳瓶のミルクを手の甲に出してみて、ちょうどいい温度になっていることを確かめてから、赤ちゃんに飲ませる。
子リスは、やはりおっぱいだけでは足りなかったらしく、ミルクをあげるとすごい勢いでごくごく飲んで、そしてぐっすりと眠ってしまいます。それを見ると、子リスがお腹一杯になったことに安心しながらも、おっぱいが十分出ないことが悲しくて、複雑な気持ちになったものでした。
時々、「おっぱい・ミルクの時間」が来る前に子リスが目を覚まして、ふんふん泣き出すこともありました。そんな時私はどうしてよいかわからず、とにかく「よしよし、よーしよし」とあやして時間を稼ぎ、なるべく決まった時間に近くなってから授乳するようにしました。それから反対に、時間が来ても子リスが起きないこともありました。そんな時もどうしたらいいのかわからなくて、私は看護婦さんに聞いてみました。すると看護婦さんは、「足の裏をくすぐって起こしてください」と言うのです。えっ、赤ちゃんの足をくすぐって起こす?赤ちゃんはそんなに規則正しく食事をしないといけないものなの?それに、いつも時計とにらめっこしながらおっぱいをあげているというのも、何だか変な感じ。授乳について、少しずつ疑問が湧いてきました。
その時のことを思い出すと、自分のことながら苦笑いをしてしまいます。泣いたら、何を置いてもまず抱っこしてあげればよかったのに。どうしてベッドに寝かせたまま、よしよし、なんてやってたのかしら。さっさと抱っこして、おっぱいをあげてみればよかったのに。それから、眠っていたら少しぐらいそのまま寝せておいたってよかったのに。時間が来ちゃった、どうしよう、なんて、なぜあんなに慌てていたのかしら…。
でもまあ、今だからこんなことが言えるけれど、子リスを産んだばかりの頃は、本当に何も知らなかったのです。というより、知らないと思い込んでいたのかもしれません。
本当はおっぱいというのは、はじめは出なくても、赤ちゃんが何度も飲んでいれば出てくるものなのです。そして、おっぱいがたくさん出てくるまで待っていられるだけの力を、ほとんどの赤ちゃんは持って生まれてくるのだそうです。だから、栄養が足りていないことをそんなに心配しなくてもよかったのだけれど、私がそれを知ったのは、だいぶ後になってからのことでした。それに、まだ“おっぱいの真実”を知らない病院も多くて、そのために、おっぱいが出ないとすぐに粉ミルクをあげるようにさせてしまうということも、後でわかりました。私の様に初めてお母さんになった人には、赤ちゃんが泣いた時に、「まず抱っこしておっぱいをあげてみなさい」というキホンを教えてくれる人がいるといいのですが…。

新生児との生活って…

4泊5日の入院の後、私と子リスは退院して、家へ帰って来ました。夫と私、そして子リスの3人家族の生活が始まりました。どんなに小さくたって、もう家族の一員です。そう、どんなに小さくたって、それは存在の大きさとはカンケイありません。家族にメイワクを掛ける権利もちゃんとあるのです…。
子リスが家にやってきてから、夫と私の2人きりの穏やかな生活はがらっと変わりました。よく2人でのんびりとコーヒーを飲みながら話をしたテーブルの上には、子リスの着替えやオムツ、タオル、ミルクの道具、綿棒、ガーゼ、温度計など、「子リスのお世話七つ道具」が並び、子リスが泣いたらすぐに必要な物がそこから取れるようになっています。夫と私は常に臨戦体制、部屋の中は、まるでどこかの選挙事務所か合宿所といった趣になりました。一日は、子リスの「ふえ、ふえ、ふえーん」という泣き声で始まります。私はハッと飛び起き、子リスのオムツを換えて、おっぱいとミルクを飲ませます。お腹が一杯になって落ち着いた子リスを夫が抱っこしている間に、私もさっと顔を洗い、それから私たちは朝ご飯を食べるのですが、子リスはどういうわけかベビーベッドに1人で寝かせられるのが嫌いで、ベッドに置こうとすると「ふえ、ふえーん」と始まります。それで夫か私のどちらかが子リスを抱っこしてあやしている間に、もう片方がご飯を食べる、ということになりました。それから、子リスをお風呂にいれたり、洗濯をしたりしていると、もうまたおっぱい・ミルクの時間です。赤ちゃんは昼と夜の区別がわかりませんから、夜だって関係なく目を覚まして泣き出します。私はふらふらと起き出してオムツを換え、おっぱいとミルクを飲ませ、げっぷをさせてから抱っこして子リスを静かにゆすって寝かせます。長い時間抱っこしてやっと寝たと思い、そーっと、そーっとベッドに置こうとすると、ベッドに子リスの背中が着いた瞬間、子リスはぱちっと目を開け、「ふぎゃぁ~っ!」と泣きだすのでした。そこでため息とともに「ハイ、ふり出しに戻る~。」と子リスを抱き直し、またながーいことゆすり始めます…。
ある晩、どうしても子リスが寝ないことがありました。私は起きる元気がどうしても出ませんでした。夫はついに歩き回るのに疲れてしまい、精も根も尽き果ててソファーにひっくり返り、自分のお腹の上に子リスを乗せました。すると子リスは、すやすやと眠り始めたのです。もう白々と夜が明け始めていました。生まれたばかりの赤ちゃんとの生活は、こんな風に嵐のように過ぎていくものだと、私達は初めて知ったのでした。

アカネちゃんからの電話

冬生まれの赤ちゃんのお母さん達は、皆同じ思いをしていたようです。冬は夜明けが遅い!夜が長い…!ソファーに座って半分眠りながら、その夜何回目かわからないおっぱいを飲ませていると、もう時計は4時・5時を指しています。でも外は冬、まだ暗くて寒くて、私はため息を付いて、何とも言えない侘しい気持ちになったものでした。
退院して5日ほど経った日のことです。子リスが珍しくベビーベッドでお昼寝をしていた時、電話が鳴りました。出てみると、それは私の幼なじみのアカネちゃんからでした。アカネちゃんは助産婦さんで、今は3人の子どものお母さんでもあります。子リスが生まれたことを知らせてあったので、お祝いの電話をくれたのでした。

アカネちゃん: 「子リスくんのお誕生、おめでとう!」
私: 「ありがとう!」
アカネちゃん: 「どう、おっぱいは出てる?」
私: 「ううん、足りないからミルクを足してる。本当はおっぱいだけにしたかったんだけど。」
アカネちゃん: 「そう。おっぱいだけにしたかったら、今からでも出来るよ。」
私: 「えっ?ホント?」
私は思わず大きな声で聞きました。

私: 「今出てないっていうことは、もう出ないんじゃないの?」
アカネちゃん: 「そんなことないよ。今からでも十分、おっぱいだけに出来るよ」
私: 「本当!?どうすればいいの?マッサージもしてるんだけど、出てる感じしないよ。」
アカネちゃん: 「マッサージもいいのかもしれないけど、ホントはね、ただ赤ちゃんにおっぱいを吸わせ続けるのが一番。」
私: 「吸わせ続ける?」
アカネちゃん: 「そう。3時間置きなんて言ってないで、1時間しか経ってなくてもでも30分でも、赤ちゃんが欲しがったらすぐに飲ませるの。そうすれば、必ずおっぱいは出て来るから。」
私: 「それだけでいいの?」
アカネちゃん: 「それだけ。おっぱいだけにしたいなら、すぱっとミルクを切らなきゃ絶対ダメ。」
私: 「でも今、おっぱいは殆ど出てないような気がするんだけど・・・」
アカネちゃん: 「そう、だからはじめは足りないの。足りないから赤ちゃんはすぐにお腹がすいて欲しがるでしょ。そしたらまたあげればいいの。そうすると赤ちゃんはお腹が空いているから一生懸命に吸うでしょ。赤ちゃんがおっぱいを吸う刺激で、おっぱいが作られるのね。そして段々、たくさん出るようになるの。」
私: 「大丈夫かなあ。」
アカネちゃん: 「大丈夫。私を信じて。はじめは大変だけど、これはお母さんと赤ちゃんが二人で頑張る時だからね。」
私: 「…分かった。やってみる。」
アカネちゃん: 「頑張ってね!」

私は、この日、どんなにアカネちゃんに感謝したかわかりません。そしてその後もずっとずっと、感謝しています。子リスも、アカネちゃんに感謝しなくてはいけません。アカネちゃんからのこの一本の電話のお陰で、大好きなパイパイと長い付き合いが出来ることになったのですから。

決心・そしてミルク・マシーンになった私

私はアカネちゃんの励ましに勇気を得て、「ミルクを断つ」と決心しました。そして夫に、
「私、おっぱいだけでやってみる」
と宣言しました。私の頑固さをよく知っている夫は、
「そうか。頑張ってみるか。分かった。」
とだけ、言いました。
私と子リスの、「おっぱいを出そう運動」が始まりました。アカネちゃんが言ったとおり、やはりはじめは私のおっぱいの量は、子リスのお腹を満たすには全然足りませんでした。おっぱいを30分も吸っていると、子リスは疲れて眠ってしまいます。おっぱいを吸うことは、赤ちゃんにとってはすごい運動量なのだそうです。子リスは、生きるために必死におっぱいを吸い続けます。そして疲れて眠りますが、お腹が一杯になったわけではないので、またすぐに目を覚まして泣き出します。夫が抱っこして、「おっぱいが欲しいのかなあ。どれ、ちょっと実験してみよう。」と、指で子リスのほっぺをちょん、とつっついてみます。子リスは、口のそばに来るものは何でもおっぱいだと思うらしく、ぱくっと夫の指に吸い付きます。夫は「ハイ、おっぱいですね。」と言って私に子リスを渡します。時計を見ると、さっきあげてからまだ30分足らず。それでも子リスの鼻のあたりにおっぱいを近づけて見ると、子リスは鼻を鳴らしながらおっぱいを口にいれ、また一生懸命に吸うのでした。時には、15分ぐらいしか経っていないのにおっぱいを欲しがることもありました。もう、3時間おきの時間割なんてどこかへふっとんでしまいました。とにかく、子リスが欲しがった時に、欲しがるだけ、おっぱいをあげました。気が付くと私は、一日のほとんどの時間、ソファーに座りっぱなしで、おっぱいを出しているので、そのうちに何だか、自分がミルク・マシーンにでもなった様な気分になって来ました。

「おっぱいだけでやってみる」と宣言したものの、一日中何度も何度もおっぱいをあげていると、それだけ体から水分が出て行くのでしょう、喉はカラカラに渇くし、今までに経験したことのないほどお腹も空くし、何より疲れて、私は段々ふらふらになって来ました。「疲れている時だけでも、ミルクをあげた方がいいかな…」と考えたりもしましたが、それでもアカネちゃんの言葉を思い出して、朝から晩まで、おっぱいをあげ続けました。
そんな日が何日か続いたある日、はじめに左のおっぱいをあげ始めて1~2分経った時、右側のおっぱいに、「ツーン」という感じを覚えました。そして右のおっぱいが固く張っていることに気づきました。(これが射乳反射というものだと、後で知りました。おっぱいが沢山作られている証拠です)子リスを抱きなおして右のおっぱいをあげてみると、おっぱいの飲み方が、今までと違います。口を大きく動かして、今までよりももっと一生懸命、うっくん、うっくん、と飲んでいます、そして何より、子リスの喉が、「ゴクン、ゴクン」と鳴っているのです。やったー!ついにおっぱいがちゃんと出たあー!私は夫を呼び、「ちょっと来て!子リスがゴクン、ゴクンって飲んでる!」「どれどれ」とやって来た夫は、「ほんとだ。これが『飲んでる』って言うんだよなあ。よく頑張ったなあ。」と嬉しそうな顔をしました。本当に、私も子リスも、そしておっぱいもよく頑張りました。子リスは、ゴックン、ゴックンとおっぱいをたくさん飲むと、満足そうな顔をして寝息をたて始めました。そして私も、初めて自分のおっぱいだけで子リスのお腹が一杯になったことで、何とも言えない満足感を味わっていました。

おっぱいが教えてくれること

私のおっぱいが十分に出るようになったので、子リスは毎日、たくさん、たくさんおっぱいを飲みました。夫は、「パイパイ三昧ってとこだな。」と言います。それから時々、「考えてみればすごいよなあ。自分の体から出てくるものを吸われてるんだぜ。」なんて言ったりもします。でも確かに、赤ちゃんがお母さんの体から出てくるお乳を飲んで、その栄養だけで大きくなって行くのを見るのは、母親にとって大きな喜びであると同時に、とても不思議なことでもあります。

夏が来ました。子リスが生まれてから、もう6ヶ月も経ったのです。子リスの体重は8キロ。生まれた時から4キロ以上も増えました。これも毎日おっぱいをたくさん飲んだお陰というものです。
ある暑い日のことでした。私と子リスは、電車で20分ぐらいのところにある私の実家へ出掛けました。その帰りの電車の中で、子リスはいつもよりぐずっていました。汗をかいたので、家に帰ってから2人でシャワーを浴び、少しお昼寝をしました。そして夕方目をさました子リスは、いつものようにおっぱいを飲み始めましたが、私は、「ン…?」と思いました。おっぱいを飲む子リスの口が、いつもより熱い気がしたのです。おっぱいの吸い方にも、いつもより力がありません。慌てて子リスの熱を計って見ました。38.5℃。こんなに体温が上がっていたなんて。夫は今日に限って出張中です。外は雷雨。私は近くの小児科の先生に電話をかけました。先生は、「それぐらいの熱なら大丈夫。こんな天気の中連れてくることはありませんよ。首筋や股のあたりを冷やして。あまり布団でぐるぐる巻きにしないようにして、様子を見てください。水分は少しづつ、十分にあげてくださいね。」とおっしゃいました。
そこで言われた通り、子リスの首筋などに冷却シートを貼って、薄い布団をかけました。水分と言っても、子リスは相変わらずおっぱいしか飲みませんから、私はとにかく子リスの横に寝て、おっぱいをふくませました。子リスは、おっぱいを口に入れて、かすかに吸っています。いつもなら、5分ぐらいゴクン、ゴクンと力強く飲んだ後、自分でぱっとおっぱいを離すか、そうでなければおっぱいを口にいれたまま眠ってしまうのに、今日は、おっぱいを離しもせず、眠りもせずに、いつまでも弱々しくおっぱいを吸っています。飲んでいるというよりは、ただ口に入れておきたくて吸っている様です。おっぱいを離すのを怖がっているようにも見えます。私はずっと添い寝をして、おっぱいをあげ続けました。おっぱいから伝わってくる子リスの熱はなかなか下がりません。
夜8時を過ぎて、やっと夫が出張から帰ってきました。
「ただいまー。いやー、やっと帰ってきたよー。」
「お帰りなさい。子リスが熱を出したの。」
「えっ!?」夫は着替えもそこそこに、氷枕や赤ちゃん用のイオン飲料などを買いに、また外へ飛び出していきました。
子リスはその晩、おっぱいを少し飲んでは少し眠り、また飲んでは眠り、ほとんどずっと、おっぱいを口に入れたまま過ごしました。夜中には、私のおっぱいはさすがに空っぽになっていました。

窓の外が薄明るくなって来た頃、私は、おっぱいを吸う子リスの口が熱く感じなくなっていることに気が付きました。そっと熱を計ってみると、6度7分。「良かった…。」私はほっと胸をなでおろしました。おっぱいも、空っぽになったと思ったのに、いつの間にかまたたくさん出るようになっていて、子リスは、コクン、コクンと、また元気に飲み始めました。「もう大丈夫」と私は感じます。子リスの生まれて初めての発熱は、新米パパとママを慌てさせたけれど、おっぱいが、いろいろなことを伝えてくれました。

パイパイ・コミュニケーション

ところで、子リスが夜中におっぱいを飲むとき、もう生まれたての頃のように、子リスを抱っこしてソファーに座って…なんてやっていたわけではありません。夜中に目が覚めると、子リスは目をつむったまま、ふんふん、鼻をならします。そうすると私は、ひょいっと子リスの頭の下に腕を入れて子リスを抱え、パジャマをめくります。するとそこには子リスが大好きなおっぱいがあって、子リスは匂いをたどって自分でおっぱいに吸い付きに来るのです。起きなくてもいいなんて、赤ちゃんにとっても、お母さんにとっても、これは便利。おっぱいってなかなか親切に出来ています。
はじめに右側のおっぱいをしばらく飲ませた後、「はい、反対のパイパイにしましょうね」と言って、子リスの口からおっぱいをそっとはずします。それから今度は左側のおっぱいを飲ませます。そうしている内に、私はあることに気が付きました。私が「はい、反対のパイパイね」と言っただけで、子リスは自分でおっぱいを「ぷちゅっ」と口から離し、もう片方のおっぱいが来るのを、口を開けて待っているようになったのです。おっぱいのことで、初めて言葉のコミュニケーションが出来たなんていいなあ、と私は思いました。

パイパイ生活

もう少し大きくなって来ると、夜中の授乳もまた様子が変わって来ました。子リスは夜中におっぱいを欲しくなると、わざわざ「ふんふん」泣くまでもなく、勝手に私のパジャマをめくって好きなだけパイパイを飲み、そしてそのまま私の胸の上で寝てしまうようになりました。私もその頃には、慣れたというかいい加減になったというか、子リスが起きたことには気付くものの、子リスの口におっぱいが入ったところで安心して眠ってしまったりしました。それで、パジャマがはだけておっぱいを出したままの私の上に、眠った子リスが転がっている、という状態を、目が覚めた夫が見つけてぎょっとする、ということが何度もありました。次の日の朝、夫は「また夕べパイパイ出して子リス乗っけて寝てたぞ。よく平気で眠れるよなあ。」と、半分感心して、半分呆れて言うのでした。

ところで、もう10ヶ月ぐらいになっても、子リスがおっぱいを飲む時間はあまり定まりませんでした。「育児書には、半年過ぎたら5時間とか、6時間おきになるって書いてあるんだけどなあ。」と、私はどうも納得が行かないまま、それでも子リスが欲しがるだけ、おっぱいをあげていました。実際おっぱいは、時間を気にしなくていいから、ラクチンなのです。(準備も要らないので、外出先でも、授乳室か仕切られたスペースがあれば、ぱっと授乳できます。)それから、子リスがパイパイを欲しがる時は、大体私も「そろそろおっぱいあげたい感じだなあ」と思っている時でした。おっぱいは、本当にいろいろなことを知らせてくれます。おっぱいをあげていると、気分も何となく落ち着くし、何より、すーっとしてとても気持ちがいいものです。赤ちゃんが生きるためにはおっぱいをもらわなければならなくて、そのおっぱいをあげることをお母さんは嬉しいとか気持ちいいと思うなんて、上手く出来ているものです。そんな風に、子リスと私の「パイパイ生活」は、軌道に乗って進んでいました。

レントゲン

秋の始め頃、子リスにBCGの予防注射を受けさせるため、市の保健センターに行きました。無事終わって帰ろうとしたら、出口のそばにレントゲンバスが来ていて、保健センターの人に「最近、また結核が流行り出してるんですよ。お母さん、時間があったらレントゲン撮って行きませんか?」と言われました。「じゃあ」と子リスをセンターの人に預け、私は軽い気持ちでレントゲン車に乗りました。
そしてそんなことはすっかり忘れていた数週間後、「再検査」の通知が。その後病院での精密検査の結果、結核ではなく、肺と肋骨の間に「胸壁腫瘍」というものが出来ているということがわかりました。悪性である可能性は低いけれど、過去のレントゲンと見比べてみると大きくなっているから、肺を圧迫していくかもしれない。手術して切除しましょう、ということでした。そこの病院では、「脇の下から左胸の下にかけて15センチほど切ることになります。」ついては、「まだ母乳を続けているようですが、すぐにやめてください」と言われました。さあ大変。

離乳?

子リスは当時11ヶ月でしたから、おっぱいをやめても栄養面では大きな問題はないし、実際それぐらいの月齢で離乳する赤ちゃんも多いのではないかと思います。でもどういうわけかその時は、子リスにとって(そして母親である私にとっても)、離乳は考えられないことでした。それは、子リスが現役バリバリのおっぱいっ子だったというだけでなく、その頃、私達母子の「おっぱい関係」が、とても大切なものであると心身で感じていた時期だったということだと思います。それで病院の先生に、おっぱいを完全にやめるのではなく、手術前後の数日間だけ中断するという方法はないものかと相談してみましたが、先生の反応は極めてツメタク、「問題外だね。」さらに、「その話は聞いても時間の無駄だから」と突き放されてしまいました。そうかなあ、これはワガママな希望なのかしら…。
確かに、今は自分の病気を治すことが最優先です。子リスも、おっぱいを止めたからと言って、栄養が取れなくなる訳でもなければ、情緒的に、回復不可能な打撃を受ける訳でもないでしょう。そこで一時、子リスをこのタイミングで離乳させることも考え始めました。

検査

病院での検査には、ありとあらゆることが含まれていました。胸部に出来ている腫瘍が、どこか他の場所に出来た腫瘍の転移である可能性を否定するためのものです、と説明されました。エコー・大腸検査・レントゲン・CT、と終わって、最後は胸部のMRIでした。その日で、病院に行くのは3回目でしたが、検査は3時間もかかるという話でした。子リスと離れる時間としては、だいぶ長い方です。病院の駐車場で、私は夫に「じゃあ、行ってきます。子リスのこと、お願いね。」と言い、子リスには、「いい子で待っててね」と言って、病院に入りました。それから間もなく、雨が降り出しました。いつもなら、近くの公園でぶらんこに乗ったり、ボールで遊んだり出来るのですが、今日はそれが出来ません。でも、こんなこともあろうかと、ちゃんと子リスのおもちゃやおやつも持って来ていました。夫と子リスは車の中で、音楽を聞いたり、持っていったおもちゃで遊んだり、ビスケットを食べたりして過ごしました。子リスも、あまり車の中で遊んだことはなかったので大喜び。前の座席と後ろの座席を行ったり来たりしながら、パパといい子で遊んでいたのだそうですが…。
流石に車の中で3時間は、10ヶ月の赤ちゃんには無理でした。(大人にだって辛いことですが。)遊びに飽きた子リスは、だんだんぐずり出し、泣いて暴れ、しまいには疲れ果てて、座席の背もたれに顔をつけてしゃくり上げながら、それでも眠れずにいたのだそうです。そんな日に限って外はどしゃ降り、傘をさして連れ出すことも出来ません。途方に暮れた夫は、抱っこしたりなだめたり、時々怒ったり、とにかく手を尽くして時間が過ぎるのを待ちました。
ようやく検査が終わって車に戻って見ると、子リスが泣きはらした顔で、私の方へ腕を伸ばして来ました。私はすぐに子リスを抱っこして、そして夫を見ると、こちらも戦いが済んだという顔です。「最初は『なんで泣き止まないんだよ』と思ってイライラしてたんだよ。でも、子リスは本当に辛いんだろうな、と思ったら、急にかわいそうになって…」本当に大変な時間だったことは、想像に難くありません。あの日のことは、今思っても頭が下がります。

子リスを抱っこした私は、何はともあれおっぱいを飲ませました。しばらく飲んで、お腹も気持ちも落ち着いた子リスは、私の膝にちょこんと乗ったまま、私の顔を小さい手で触っています。私は、「ママが帰って来ないと思って泣いてたの?」と聞いてみました。子リスは私の顔をじーっと見ています。
「ママは子リスを置いてどこかに行っちゃったりしないんだよ。どこかに行っても、必ず戻ってくるからね。」
すると子リスが、“ウン、わかったよ”とでも言うように、にこーっと笑ったのです。
まだちゃんと言葉を話せない赤ちゃんだけれど、私の話は子リスにしっかり通じたと、この時感じました。

ラ・レーチェ・リーグ

おっぱいを止めるかどうかを決めるにあたって、取りあえず一度本人の気持ちを聞いてみようか、と思い、子リスに尋ねて見ました。
「子リスは、もういろんなものを食べられるようになったから、パイパイはなくてもいいかな?」
子リスはにこにこして聞いています。
「パイパイは、バイバイしてもいい?」
すると子リスは嬉しそうに、「パイパイ!」と言って私の胸に潜り込み、いつものように勝手にパイパイを出してちゅっちゅっと吸い始めました。ゴキゲンです。「ダメだこりゃ…。」
11ヶ月の赤ちゃんに理解を求めるのは土台ムリな話ではありますが、でも私は子リスのこの様子を見て、「やっぱり出来るなら、おっぱいを止めないで済む道を探してみよう」と思いました。

実は私は、離乳を考えていると口ではいいながら、諦められずにあれこれ調べたり相談したりということを続けていたのです。相談に乗って下さったのはラ・レーチェ・リーグという、母乳育児支援団体の、Fさんという方でした。私はFさんがリーダーをしていた地区の集いに子リスを連れて毎月通い、母乳育児について語り合いながら、母親が手術をする時の母乳育児の捉え方や、病院とのコミュニケーションの取り方などをFさんに相談していました。そして、病気や手術の内容によっては授乳を続ける方法があること、それから、授乳に関する患者の希望や意思をしっかりと病院や担当のお医者さんに伝えることが大切である、ということなどを学びました。
ラ・レーチェ・リーグでは毎月、母乳育児中のお母さんとその子ども達が集まり、母乳育児やその他子育て一般について相談し合ったり、いくつかのテーマについて勉強したりしています。私も病気のことだけでなく、母乳育児の素晴らしさをいろいろな面から知ることが出来ました。ラ・レーチェ・リーグ、そしてFさんとの出会いに、今もとても感謝しています。

病院を決める

Fさんに相談しながら病院探しを続けた結果、私の希望が叶う、つまり、完全に断乳せず、手術後の数日間おっぱいを中断するだけでよい、と言ってくれる病院が見つかったのです!おっぱいというのは、それを吸っている赤ちゃんに合わせて生産のペースが出来上がっていますから、「数日間中断する」と言っても、その間もおっぱいはどんどん作られるわけです。そのあたりのことも心配だったのですが、私が診察を受けた先生は乳腺外科が専門で、母乳育児に詳しいだけでなく、母乳の大切さをとてもよく理解して下さっている先生でした。そして先生は、入院中の母乳のケアや、いつから授乳を再開してよいかなど、私が心配していた一つ一つの事に丁寧に答えて下さり、私はようやく、「ここで、先生の指導に従ってやってみよう」と思うことが出来ました。これで一安心です。そこでの手術が決まったのは2001年の7月、はじめに再検査の通知を受け取ってから既に半年が経ち、子リスは1歳6ヶ月になっていました。

鉄壁のおっぱい

病院も手術の日取りも決まり、私達はようやく一息つくことが出来ましたが、考えてみればそこまでが随分、長い道のりでした。
病院で受ける色々な検査で、授乳中ということを考慮してもらうのも、思いの外手間が掛かることでした。胃カメラやCT,MRIなどの検査には薬を使うため、その度に、授乳中であることをお医者さんや検査技師に伝えます。すると、その薬が母乳にどれぐらいの影響があるかという判断が、どうもはっきりしないのです。
(お母さんが薬を飲むと、それは微量であっても必ず母乳の中に出るのだそうです。ただし、それで授乳を止めなければならない程の影響を持つ薬は限られていて、授乳を続けるメリットの方が大きい場合が多い、ということも、ラ・レーチェ・リーグで学びました。)
結局、危険性の程度などを示してもらえないまま、「授乳中ねえ…取り敢えずしばらく母乳は止めて。」と言われて困ることもありました。おっぱいを何日か止めるということは、おっぱいにとっても、子どもにとっても、そう単純なことではないのです。「取り敢えずしばらく」なんてカンタンに言ってくれるな、という気持ちでした。それで私は、友人で助産師のアカネちゃん(そう、私に母乳育児をスタートさせてくれた彼女です。)に電話をして指示を仰ぎました。彼女の先生が、母乳の専門家なのです。そして、どうしても使わなければならない薬以外は使わない、母乳に出る薬の分量が心配ないとされる時(実際、殆どの場合、授乳を続けても差し支えないと言われました。)は授乳を続ける、というやり方で色々な検査を受けました。

MRIを受けた時のことは忘れられません。この時は2回目のMRIで、血管から造影剤を入れての検査でした。造影剤を注射されても気分が悪くなったりもせず、無事に検査が終わりました。ところが、家に帰ってしばらくした時、急に胸のあたりに違和感を感じたのです。少し痒みもあります。服を上げて見てみると、何と、胸の部分に一面、うす赤い発疹が出ているのです。しかもよく見ると発疹は、おっぱいの形に広がっています。「なにこれ!」と私はビックリして、近くの皮膚科に駆け込みました。皮膚科の先生は首を捻り、「何だろうね。考えられるのは造影剤アレルギーだけど、飲み薬を飲んで、明日まで様子を見ましょう」。
そして次の朝、おそるおそるパジャマをめくって胸を見てみると…何と、昨日よりくっきりと、おっぱいの形に、濃い赤色が出ているのです。(つまりビキニの日焼け跡の逆の状態です)皮膚科に行くと、「ほぼ間違いなく造影剤の影響でしょう。」ということでした。授乳は続けてよいといわれたので、子リスにおっぱいを飲ませましたが、子リスが赤いパイパイにびっくりするといけないので、服で胸を隠して、見せないようにしておっぱいをあげました。

これは私の勝手な解釈ですが、おっぱいは必死に、子リスが飲む母乳を造影剤から守ったのではないでしょうか。だって、本当におっぱいのところだけが真っ赤になったのです。事実、おっぱいが異物をろ過する力は、例えば胎盤のそれと比べてもずっと強く、赤ちゃんが飲む命の素を守る、超高性能フィルターの役割をするのだそうです。すごい、鉄壁パイパイ!

後追い

さて、手術が決まってから、夫と私は夜な夜な、入院中の生活について計画を練らなければなりませんでした。入院期間は4泊5日。その間、子リスは私と離れて夜を過ごさなければなりません。おっぱいっ子の子リスにとって、初めての経験になります。そう長い入院ではありませんが、この世に出てきて18ヶ月しか経っていない子リスにとっては、さぞ長い時間に感じることだろう…病院は家から車で2時間もかかるんだから、毎日通うのは大変すぎる、かといって、家で夫と子リスが二人っきりで5日間も生活するなんて考えられない…という訳で、思い切って病院のすぐそばにホテルをとり、夫がそこで仕事をしながら子リスの面倒をみるということになりました。(夫が、コンピューター一つあればどこでも出来る仕事をしていたのが幸いでした。)

その頃、子リスの「後追い」が急に激しくなって来ました。一瞬でも私の姿が見えないとパニックに陥り「マーマー!」と怒ったように叫び、私が台所にいるのが見えていても、ふとした拍子に何かに怯え、「マーマー!コッチきてー!」と泣いていました。入院中の計画をいくら練っても、いろいろな心配は尽きませんでしたし、それにもし腫瘍が悪性だったら…と考えて眠れないこともありました。子リスは、そうやって不安に過ごしていた私の様子を敏感に感じ取っていたのかもしれません。

子リスに話す

ある日、私は子リスに、入院のことをきちんと話してみることにしました。子リスを膝に乗せて、大きなカレンダーを見せます。「今日はこの日ですよ。それから明日、あさって。それからその次の日…。」それから、「入院」と記してある日を指差して、「この日になったら、ママは病院に行くの。ママの胸の中にイタイイタイが出来たんだけど、それを病院で取ってもらうの。」子リスはじーっと私の目を見て、黙って聞いています。「それで、この日と、次の日と、その次の日はね、」と言いながら、私は手術日とその後2日にマークを付けました。「この3つの日は、ママはパイパイが痛いから、子リスくんはパイパイ飲まないで我慢できるかな?」すると子リスは、「ウン。」とかわいく答えました。

カレンダーの説明を、子リスがどこまで理解できたかはわかりません。でも、ママが病気で、ボクはパイパイを、1、2、3つの日ガマンする。という様なことはある程度伝わったのではないかと感じました。少なくとも、「どうやらママが大変らしく、ボクにお話をした。」ということには、納得したような「ウン」に聞こえました。

入院

そしてついに入院の日がやって来ました。持っていく荷物の中で、私の入院用品はカバン一つ分だけ。残りは殆ど、子リスのものです。洋服・オムツ・おもちゃ・絵本・お菓子・お気に入りのビデオ・クリームや薬などの子リスケア用品…。引越し?というぐらい車に詰め込んで、私達は病院に出発しました。

この日だけ、夫と子リスも私の病室(個室)に泊まります。子リスは昼の間ずっと、病室の窓から外を見たり、ベッドに登ってみたり、持ってきたおもちゃで遊んだり、売店でジュースを買ってもらったりしてゴキゲンに過ごしました。
やがて夜になり、消灯時刻が近づいたので、夫が子リスを寝かしつけようと、病院の屋上に連れて行きました。そしてものの15分か20分ぐらい経った時、ぐっすり眠った子リスを抱いて、夫は戻って来ました。「えっ、寝たの?」「うん、寝たんだよ…。」いつもなら、ちょっとでも普段と変わったことがあった日はなかなか寝付かず、1時間も2時間も苦労するのに。しかも、おっぱいを飲みながらでなければ眠れない子なのに。いつだったかどこかで、子どもは小さくても、泣いても仕方がない時は泣かないものだ、という話を聞いたことがありました。子リスももしかしたらこの時は、何か特別なものを感じていたのかもしれません。子リスは私の隣に寝かされ、狭いベッドで朝まで一緒に眠りました。

手術

あくる日は手術です。実は、手術の前のことを私はよく覚えていません。というのは、手術室に行く前にする、緊張をほぐすための注射(プレ麻酔?)で、私は既にどろどろに眠くなってしまっていたからです。(お酒に弱い人は麻酔もよく効くんだそうですネ。)
名前を呼ばれて気が付くと、手術は終わっていました。病室に運ばれベッドに載せてもらうと、子リスが枕元にやって来ました。「大丈夫だよ」と言うと頷いて、夫のところに戻り、「パパ、ビッケちょうだい。」とビスケットをねだっています。まだ麻酔が覚め切らず、朦朧とした意識の中で子リスを見ていると、引っ切り無しにビスケットを欲しがっていることに気が付きました。まるでビスケット中毒にでもかかったかのように、「ビッケ、ビッケ」と夫からビスケットをもらっては食べています。お菓子でもご飯でも、そんなに食べ物を欲しがる子ではなかったので、余程お腹が空いているのだろうかと始めは思っていましたが、後で気付きました。
子リスは、おっぱいがないので口寂しかったのです。何しろ子リスは、朝から晩まで、ことあるごとに(なくても)おっぱいを吸って暮らしていたのです。朝目が覚めた。ゴハンを食べ終わった。一つの遊びが終わった。転んだ。どこかにぶつかった。ちょっと疲れた。眠くなった。悲しくなった。あとは、何となくおっぱいのことを思い出した。ありとあらゆる理由で、「パイパイ。」と私のところにやって来ては、勝手にシャツをめくり、チュッチュッと吸って、機嫌を直したり気分転換をしたり、泣き止んだり、一休みをしたりしていたのです。「おしゅくりパイパイ」(どこかを痛くした時お薬になるパイパイ)とか、「きゅうけいパイパイ」、なんて名前の付いたのもありました。その習慣を急に止められたのですから、子リスは(無意識にしても)、随分戸惑ったに違いありません。

それぞれの夜

ところで、おっぱいのリズムが狂ってとまどったのは、子リスだけではありませんでした。それまでと変わらないペースで母乳を生産し続けるおっぱいも、突然“お客さん”が来なくなって面食らった様でした。手術をした次の日の夜には、おっぱいはもう、はちきれそうになっていました。でも私はまだ、術後の痛みで腕を動かすことも出来ず、呼吸も苦しい状態だったので、とても搾乳など出来ません。
すると担当の看護婦さんが、「私がお手伝いしてもいいでしょうか?やり方を教えていただければ、私がやります。」と言って下さったのです。それで、たらいの中にバスタオルを敷いて持って来てもらい、絞り方を説明して搾乳をしてもらいました。(このやり方もラ・レーチェ・リーグの集いで教わったものです。)まだ若い看護婦さんで、勿論授乳経験もなかったのですが、私が絞り方を伝えると、一生懸命その通りにして下さって、そのお陰でおっぱいの苦しさが取れました。そして彼女は私に、「勉強になりました。ありがとうございました」と言うのです。本当に、よくそこまでして下さったと、あの看護婦さんには今も心から感謝しています。

ただ、手術後の胸の痛みそのものは、私がそれまでに経験した痛みの中では最も強いものでした。何度か痛み止めの注射を打ってもらいながら、少し眠っては痛みと苦しさで目が覚める、ということが二晩続きました。

一方、夫と子リスは…。手術の日は、一日中バタバタしてさすがに疲れたらしく、夜にホテルに戻ってお風呂に入ると、子リスはコトンと寝たのだそうです。これで、「おっ、案外大丈夫かも…」と夫も、話を聞いた私も思ったのですが、二晩目はそうは行きませんでした。お風呂に入り、ベッドに寝かされた子リスは、急に「ママとこいく。」と言い出したのだそうです。夫が、「ママはまだイタイイタイだからね。子リスはパパとここで寝ようね。」となだめましたが、子リスは聞きません。「ママとこいくぅ~」と駄々をこね始めました。仕方なく夫は子リスを抱いて外へ出ました。でも本当にママのところに行くわけには行きません。時間を稼いでその間に寝かせようという作戦です。まず「ママにお土産買って行こうな。」と、24時間空いているスーパーに寄ってヨーグルトを買います。そして「ママとこいくぅ~!」と泣く子リスを、「よしよし、行こうな」とあやしながら、普通に歩けば10分で着く病院までの道を、ゆっくり、ゆっくり、歩きます。泣き疲れて子リスは段々眠くなって来ます。よし、寝る…、と夫が思ったその時、後ろからサイレンを鳴らした救急車が来て、子リスはまた「ママとこ~」と起きてしまう…というのが3回ほどあり、結局、子リスが眠ったのは、ホテルを出てから1時間半後だったそうです。子リスはその当時10.2キロ。それを抱いて歩き続けた夫は、ホテルに戻って子リスをそっとベッドに置くと、自分もその隣に倒れこみました。

あさって

手術の日とその後2日間は、私は痛みと苦しさで、正直なところあまり子リスの心配をする余裕がありませんでした。その間子リスは、「ママのとこ行く~」と泣くことはあっても、おっぱいをねだることは一度もありませんでした。朝、ホテルから病院に来ると、私の枕元にやって来て、思いきりアップで私の顔を覗き込みながら「あしゃって(明後日)飲めるのねー。」と確認します。私が頷くと、自分でもウン、ウン、と頷いて、納得している様でした。やっぱり、カレンダーの話を分かっていたんだ…。小さくても、ちゃんと話せば分かるんだ…と、私は子リスの様子にすっかり感心してしまいました。

4日目の朝、漸く主治医の先生の許可が出て、授乳を再開出来ることになりました。その朝も子リスは、元気に私の枕元にやって来ました。そして、
「あしゃって飲めるのねー。」
「もう『あさって』になったよ。」と言うと、子リスは「え?」という顔で私を見ています。私がもう一度、「今日が『あさって』だよ。パイパイ、飲んでいいよ。」と言うと、子リスは「ママはこう言ってるけど?」という様に、そばにいた夫と私の母の方を見ました。2人に、「いいんだよ。よく我慢したね。いっぱい飲みなさい。」と言われて、子リスはちょっと恥ずかしそうに、私にくっついて来ました。
私がパジャマをめくっておっぱいを出すと、恐る恐る口に入れ、まだ「ホントに飲んでいいの?」と確かめるように上目遣いで私を見ながら、遠慮がちに飲み始めました。そして少し飲んだ後、ぱっとおっぱいを離して、私の顔をじーっと見ていました。本当に子リスは3日間、よく我慢したものです。
3日振りのパイパイ・タイムは、私にとってもほーっと一息つくような、穏やかな時間でした。

後姿

さて、授乳を再開しても、まだ術後の痛みはかなり残っていて、とても子リスと一緒に眠れるような状態ではありませんでした。それで夜になると、子リスはホテルに帰ります。一度おっぱいを飲んだから、私から離れたがらないのではないか、と心配していたのですが、意外にも子リスは、「じゃあね、ママ、バイバイ。」とあっさり私に手を振りました。夫もこの頃にはだいぶ疲れとストレスが溜まって来ていて、もう一刻も早くホテルに戻ってシャワーを浴びて寝たい、という様子が見えています。
「子リス、行くぞ。」とトランクを持ち(殆ど毎日、ホテルから病室まで、子リスのものが入ったトランクを運んでいたのです。)病室を出て行きます。子リスは夫を手伝って、自分より大きなトランクを一生懸命押しています。
私は病室の戸のところで二人を見送りながら、急に寂しくなって涙が出てしまいました。痛みがひどかった時は寂しさを感じる余裕がなかったけれど、少し回復して来たものだから、あれこれ思ってしまうのです。「ママといたい~」「パイパイ~!」と駄々をこねるかと思ったのに、あんなにきっぱりと、後ろも振り返らずに行くなんて。
私はあの時の、トランクを押す子リスの後姿が忘れられません。初めて、我が子の成長を寂しく思った瞬間だったのかもしれません。

その2日後、私は無事、退院しました。病院の先生方、看護婦さん達には、本当にお世話になりました。あの病院に入院出来てよかったと、今でも思います。

公園で…

退院して数週間が経ち、私の体調もだいぶ元に戻って来ました。ある日の夕方、私と子リスは車で、開店したばかりのドラッグ・ストアに買い物に出掛けました。買い物が済んでお店を出た時、目の前に小さな公園があるのを見つけました。
「こんな所に公園があったんだねえ。」
普段あまり行かない場所なので、知らなかったのです。子リスはすぐに砂場めがけて駆け出して行きました。誰かが忘れていったらしい小さなシャベルがありました。公園には他に誰もいません。子リスはそのシャベルで砂を掘りながら、「おすなばセット、もってくる?」と言います。もっといろいろな道具で遊びたくなったのでしょう。でも、もう夕方だし、寒くなって来ていたので、
「今日は帰って、明日来ようね。」
と言うと、子リスは
「ママ行ってきて。」
驚いて「えっ、子リスは?」と聞くと、
「ここでまってる。」
と言うのです。待ってると言っても、ここは家の前というわけではありません。
「それはだめ。あぶないから。」と言っても、
「だいじょうぶ。まってる。」
と聞きません。(もうこの頃から、言い出したら聞かない性格が見え始めていました。)私は、行く振りをしたら追いかけて来るかもしれないと思い、「じゃあね、ママ行くよ。」と言って歩き出してみました。時々後ろを振り返って見ると、子リスはこちらをちらっ、ちらっと見ていますが、追いかけて来る様子はありません。仕方がないので私は、そのまま公園の門の所まで歩いて行って、門の陰から子リスの様子を見ていました。子リスは時々顔を上げて見ては、また下を向いて、一心不乱にシャベルで砂を掘っています。
その様子を見ているうちに、私は急に、切なくてたまらない気持ちになりました。
一瞬でも私の姿が見えなくなると、パニックに陥ってあんなに泣き叫んでいた子リスが、「まってる」と言って一人で遊んでいるのです。私が絶対に戻って来る、と信じている子リスの心が、私の胸に痛いほど響いて来ました。「ママはボクのところに戻ってくるんだ」ということが、私の入院で子リスが得たものだったのかも知れません。

私は門から駆け出して行って、子リスを抱き上げました。
「もうきたの、ママ?」
「ううん、一人で行くのがさびしくなったから、戻って来ちゃった。子リス、一緒におうちに帰ろう。」
と言うと、子リスは不思議ともう駄々をこねず、
「うん。」と頷きました。私は子リスを抱いて歩きながら、しばらく涙が止まりませんでした。
あの時、どうして急にあんなに切ない気持ちになったのか、今でもよくわかりません。ただ、まあるくなって、一生懸命に砂を掘りながら、私が戻るのを待とうとしていた小さな子リスの姿は、きっと一生、私の胸に残っていくだろうと思います。

おっぱいの飲み方

公園での出来事を、その後、学生時代の先輩で社会学者であるYさんに話す機会がありました。するとYさんは、「それはまさに、子どもが人間関係における基本的な信頼の感覚を身につける体験だ」というのです。つまり子どもは、一番近い存在である母親が自分から離れることで不安を抱き、その後母親が自分のもとに戻って来て安心する、という体験をすることで、「信頼」というものを学ぶのだそうです。図らずも子リスは、1歳7ヶ月でそういう体験をしたことになるのでしょうか。
ともかく子リスはそうして、安心も手に入れ、離乳の危機(チャンス?)も乗り越えてしまったものだから、その後は見るからにのびのびと、パイパイを楽しんでいました。

ところで、おっぱいの飲ませ方にはいろいろな方法があるようです。初めてお母さんになった人のための本には、おっぱいを飲ませる時の赤ちゃんの抱き方の例が、幾つか紹介されています。「横抱き」「縦抱き」「添い寝での授乳」の他に「ラグビー抱き」なんていうのもあります。普通は、新生児は横抱きで、首が座ったら縦抱きもOK、それに夜の授乳は添い寝で、といったところが定番でしょう。
子リスも1歳半ぐらいまでは、そのバリエーション内での飲み方をしていました。ところが2歳近くなって、動きが活発になるに連れ、おっぱいを飲んでいる時でさえじっとしていられないことがあり、パイパイ・タイムは必ずしもゆったりとしたものではなくなって来ました。まず、仰向けに寝ている私のところにやって来て、いつものように勝手に服をめくり、おっぱいを口に入れます。ここまではいいのですが、その後がタイヘンです。子リスはおっぱいを口に入れたまま、私の上を360度回転したり、足を片方上げてバランスを取ってみたりするのです。
ラ・レーチェ・リーグの集いでこの話をすると、意外にも沢山の赤ちゃん(や、もう赤ちゃんとは呼べないおっぱいっ子達)が、そうやってお母さんの体の周りで運動(?)しながらおっぱいを飲んでいる、ということがわかりました。こういうのを、「アクロバット飲み」と言ったりするのだそうです。なるほど、まさに、アクロバット。そうまでして飲まなくてもよさそうなものですが、きっと、そうすることで落ち着く何かがあるのでしょう。

いつまで飲む?

2歳を過ぎると、デパートなどの授乳室でも、さすがに目を引く大きさになって来ますが、当の子リスは全く平気です。おっぱいを飲んでいる口をちょっと離して、「ママ、ここの『あかちゃんのへや』はちょっとせまいねえ。」などとお喋りしてから、またおっぱいに戻って飲み始めたりして、いい気なものです。

私のふるさとでは、「昔は学校が終わると、一年生の子どもなんかは、畑仕事をしている母親のところへ飛んで行って、『かあちゃん、乳っこ飲ませろ』と言っておっぱいを飲み、人心地ついたところで遊びに行ったもんだ」などという話をよく聞かされました。おそらくその影響もあって、私は、離乳時期はなるべく自然に任せたいと考えていましたが、それでも漠然と、きっと3歳になる頃には、そろそろ子リスも卒乳することになるのだろう、とも思っていました。
でも、3歳の誕生日を迎え、だいぶ幼児らしく(つまり乳児ではなく…)なって来ても、子リスのパイパイ好きは衰えを見せません。時々、子リスの自覚を促そうと、「子リスもだいぶお兄ちゃんになってきたね」とか、「もう何でも食べられるね」とおだててから、「そろそろパイパイはさよならしようか?」と聞いてみたりしましたが、子リスは、
「パイパイはずっと飲むの。」と言い張ります。
「ずっと?」
「4歳になったら、ありがとう、ってするの。」
ふーん…。4歳になったらねえ…。2歳の時は「3歳になったら」って言ってたなあ。
一体、いつまで飲むつもり?

パイパイのうた

私が離乳させようとしているのを感じたのか、子リスはその後、一層おっぱいから離れたがらなくなってしまいました。
そんな子リスの様子を見ているうちに、段々私も、離乳を意識するのは一旦やめて、こうなったら子リスのパイパイ三昧に、とことん付き合ってあげようという気になって来ました。そう思って見ると、子どもって本当におっぱいが好きなんだなあ、と感じることが出来ます。また、大きくなって知恵がついたり、言葉での表現が広がった分、いろいろな形でおっぱいを楽しんでいるのを見ているのも、面白いものです。
お絵描きをするようになればパイパイの絵を描き、砂場で型抜きをするようになれば、パイパイを作ってくれます。(公園で「ママ、パイパイできた!」と叫ばれるのは少々恥ずかしかったですが。)

ある日子リスが、
♪マーマのパイパイはおいしいよー
と歌い出したので、

♪どーんな時に おいしいのー?
と調子を合わせてみたら、

♪そーれはそれは…
と子リスが答えて、歌が出来ました。こんな歌です。


“パイパイのうた” 作詞・作曲: 子リスとママ

♪マーマのパイパイはおいしいよー
 どーんな時に おいしいのー?
 そーれはそれは、泣いてる時と、泣いてない時に、おいしいんだーよー
 そーれはどんな 味なのよー?
 そーれはそれは、おさとうあじと、ミールクあじで おいしいんだーよー
 そーれをのむと どんなきもち?
 うれしいきもちー ♪

これを、押入れの上の段に上って(そこに登ると歌いたい気分になるようでした)、片足で拍子をとりながら歌うのです。
それからその後、もう一曲出来ました。こちらは夜寝る時にベッドに入ってから歌う、子リスのソロです。


“よるはくうくう ねむりましょう” 作詞・作曲: 子リス

♪よーるはくうくう ねむりましょう
 マーマにだっこして ねむりましょう
 マーマのとなりで くうくうくう
 パイパイのんで くうくうくう
 くうくうくうくう ねむりましょう ♪

これを歌う時子リスは、とびきり甘えん坊のキモチになるらしく、「よーるはくうくう」の後は「ねむりましょう」ではなく「ねむりまちょう」と歌います。
他の部分も全部、「マーマにだっこちて ねむりまちょう」という調子です。

甘ったれ子リスは、こんな風に3歳時代を過ごしていました。

パイパイが出てない!?

3歳の終わり頃のある日、子リスがおっぱいを飲みながら、私に聞いて来ました。
子リス: 「ママ、パイパイ出てると思う?」
私: 「えっ、出てないの?」
子リス: 「出てない。…あ、出た。」
私: 「パイパイ、出るまでに時間がかかるの?」
子リス: 「そう、この頃、最初は出ないの。」
私: 「へえー、そうなの。」
こんな会話が出来るまでおっぱいを飲んでいるということはモンダイですが、でも、そこまで飲んでいるからこそ、こういったおっぱいの事実を本人から聞けるというものです。私のおっぱいの出具合を、一番知っているのは子リスなのですから。

おっぱいの出が悪くなったのには理由があります。子リスのパイパイ三昧も一段落したように思えた秋頃、私はさすがに、今度こそ離乳を考えた方がいいのではないかと思い始めました。何しろ、4月から幼稚園に行くのです。そこでまず、一日に飲むおっぱいの回数を決めることを提案しました。

私: 「子リス、パイパイを飲むのは、一日の中でどうしても飲みたい時だけにして、
   後はたくさん、遊ぼうよ。」
子リス: 「わかった。」
私: 「わかった?よし!じゃあ、子リスはいつが“どうしても飲みたい時”?」
子リス: 「えーとね、朝起きた時と、朝ごはんの後と、お昼の後と、夕方テレビを見てる
     時と、夕ご飯の後と、夜本を読んでもらう時と、寝る時。それだけにする。」
それだけって、それじゃあ、今のままなんだけど。
私: 「もう少し、減らした方がいいと思うよ。その方が、いっぱい遊べるよ。」
子リス: 「そうかあ。じゃ、どうする?」

いろいろと話し合った結果、朝起きた時・夕方テレビを見る時・夜寝る時の3回だけ、ということになりました。そしてそれを実行し始めて間もなく、私は自分で、おっぱいが出なくなっているのを感じました。やっぱりおっぱいは、飲ませれば出て、飲ませなければ出なくなるのです!おっぱいはきっと、「やれやれ、やっと引退させてもらえる…」と思っていたことでしょう。

さて、おっぱいがあまり出ないということは、子リスにとってはちょっと寂しいことのようでした。それでも、色々な遊びが忙しくなるに連れて、段々、昼間はおっぱいのことをすっかり忘れているようになりました。そして次第に、朝起きた時と夜しか飲まなくなり、しかも飲む時間も1分足らずになり…そうしているうちに、ついにおっぱいは、全く出なくなったのです。

やっぱりパイパイがすき

私は時々、こんなにおっぱいっ子の子リスは、一体どういう形で離乳を迎えるのだろうと考えていました。約束をしてきっぱりとやめるのか、それとも何日か泣くことになるのか…。でもまさか、おっぱいの方が力尽きて(?)出なくなるとは、想像していませんでした。
中身が出なくなっても、子リスが朝・晩におっぱいに吸い付いてくる習慣は変わらず、これを卒乳と言ってよいのかどうか、ちょっと迷うところではありました。でもとにかく、おっぱいは「飲む」ものでなくなり、そしてその後子リスの、おっぱいに対する態度も少しずつ変わって来たように見えました。何と説明したらよいのか…子リスにとって「自分のもの」だったおっぱいが、「ママの一部」になったような感覚です。それがいつだったのかもはっきりしませんが、多分5歳を迎えた頃には、だいぶおっぱい離れが出来ていたような気がするので、その頃を「何となく」の卒乳期と言っておこうか、というのが本当のところです。何とも曖昧な、よく言えば自然な形での卒乳(?)となりました。

子リスは今でも、ちょっと不安な気分の朝など、私が歯磨きをしているところへやって来て、Tシャツの中にもぐりこんで来たりします。Tシャツの襟のところから中を覗いてみると、子リスはおっぱいのところに自分の目や鼻のあたりをくっつけてじーっとしています。そこは子リスの「安心の部屋」のようにも見えます。昔私が感じたような「ママの胸の世界」を、子リスも感じているのでしょうか。
いずれ私の胸に顔をうずめることがなくなるほど成長しても、今の安心の感覚が心の奥に根付いて、不安なことがあった時には子リスを包んでくれるといいなあ、と願っています。

終わりに

実際の子育てがどんなものかということなど、私は何も知らずにお母さんになりました。あれもこれも初めてで、毎日困ってばかりで、悩んだり落ち込んだりの連続だった気がします。それでも、自分が母親であるということはいつの間にかしっかりと体の中にしみ込んで、自分にとってごく当たり前のことになっているのを感じます。それは、私が子リスのために何か特別の努力をしたから、ということではなく、ただ毎日子リスを抱いたり触れたりして来た、その感覚が育ててくれたものではないかと思っています。
子リスが生まれる前も、生まれてからも、私は、ちょっとやそっとのことではではめげない、いつもゆったりと構えているお母さんになりたいと思っていました。でも残念ながら、子リスが生まれてからの6年余りを振り返ってみると、私は、自分が理想とするお母さん像とは程遠く、情緒不安定だったり、感情に任せて怒ったりする、本当に未熟な親だったなあ、と反省することばかりです。でもそんな中で、心がほっと和んで優しい気持ちに戻れた瞬間を思い出してみると、やっぱり子リスをぎゅっと抱っこした時だったように思います。抱きしめることで、子どももお母さんも、心を育てていくのかも知れません。

お母さんになることは、素直に赤ちゃんを抱くことから始まるのだと思います。何の知識もなくても、泣いている赤ちゃんを見たら抱き上げたくなる、とか、お腹が空いているかもしれないからおっぱいをあげてみようと思う、とか、そういうことは全て自然の営みの中にあるはずです。むしろはじめから、子育てのマニュアルを与えられ過ぎると、その自然な気持ちのほとばしりに気づく間がなくなってしまうかもしれません。赤ちゃんが生まれたらすぐに自分の胸に抱いて、自分の肌から離さずにその体温を感じつづけることで、お母さんは赤ちゃんのいろいろなことを知ることが出来、また、自分の中にある母親になる種も芽を出すのではないでしょうか。初めてお母さんになった人のそばに必要なのは、「抱っこしたい」とか「おっぱいをあげたい」という一番基本的な気持ちの芽生えを、気付かせ見守ってくれる人なのではないか、という気がします。

お母さんの胸は、赤ちゃんが生きるための栄養を供給すると同時に、子どもが一番安心出来る“部屋”としての役割も持っています。おっぱいを飲んでいる期間が何年であろうと、何日であろうと、また、母乳でなくミルクの授乳でも、お母さんの胸は、子どもにとっては、何かがあった時に帰ってくる場所、ひとつの世界です。そしてその世界の記憶は子どもの心の中に、暖かさと共に残っていくのだと思います。
子リスは男の子だからお母さんになることはありませんが、胸の中に育んだ優しさがあるならば、それで自分の愛する人を包み込む世界が作れる筈です。子リスには、そんな男性に育ってほしいと願っています。長いおっぱい生活がそれに少しでも役に立ったら、母としてこんなに嬉しいことはありませんし、力尽きた私のおっぱいも、きっと本望に違いありません。

さて、甘えん坊子リスは、これからどんな風に成長していくのでしょう…?