4年生時代 その⑧ 入院

 子リスに兄弟が出来る…!?このニュースをどうやって伝えようかと、一番真剣に考えた相手は、勿論子リスです。

 ずっとずっと前、子リスが3才になった頃だったでしょうか、「子リスはお兄ちゃんになりたい?」と聞いてみたことがありました。その時子リスは、ちょっと考えてから「なりたくない。」と言いました。でもその後、幼稚園や小学校で、友達が兄弟の話をしていたり、実際に兄弟と関わる姿を見るようになると、「きょうだいが欲しいな」と言うようになりました。でも、更にその後は、全く兄弟の話をしなくなったので、また欲しくなくなったのかな…?と私は想像していました。

 さて、“自主検査”によって赤ちゃんがいることが決定的になった次の日の朝、私はついに、「うちに赤ちゃんが来ることになったみたい」と子リスに話しました。
 すると子リスは、「えっ!?」と目を“まんまる”にした後、突然走って行ってベッドに飛び乗りました。そしてぴょんぴょん飛び跳ねながら、「え~っ!?兄弟!?10才離れるよ~!ちょっと離れすぎじゃない!?」と騒いでいます。それからベッドを飛び降りて、子リスは私の膝に座り、首に手を回して私の顔を見ながら、ちょっと照れたような優しい顔で、「だいじにしてね。」と言いました。子リスの反応がもしネガティブなものだったら…と、ちょっと心配していましたが、それが杞憂だったどころか、こんなことを言ってくれるなんて。本当に嬉しい驚きでした。

「兄弟がいたらいいな、と思ってはいたけど、来ないとがっかりするから、欲しいって言わないようにしてたの。そのうちに忘れちゃってた」
と、子リスは後から教えてくれました。そうだったんだ…。これにもびっくりです。

 さて。10年も経っているけど、一応妊婦生活は経験者。前回は重いつわりに苦しんで、何も出来ない日々があったけれど、今回はもうちょっと上手にやろう。今は仕事もしているし。なるべく平静に。今回は出来そうな気がする!
…なーんて私が考えたところで、妊婦生活は自分の思い通りになんかならないことを、私は間もなく知ることになるのでした…。

 なるべく大事(おおごと)に思わないようにしよう、そう決心した3日後の朝、それはやって来ました…。ツ・ワ・リ。
 いやあ~、つわりの酷さは、子リスの時の症状が頭打ちだと思っていましたが、今回はそれをはるかに凌ぐ重さでした。どれぐらい酷かったかと言うと…あまり綺麗な話ではないので、詳しくはお話しませんが…
 トイレの便座の蓋の裏に、「洗浄トイレのお手入れについて」という注意書きが貼ってあります。「▼警告 お手入れの際は必ずコンセントを抜いてください。」「▼暖房便座や温風でやけどをする可能性があります…」等々。それをいつしか暗記してしまったほどに、その空間での滞在時間が長かった、とだけ書いておきましょう。

 殆ど何も食べられない日が2週間ほど続いた後、ついに水も受け付けなくなってしまった明け方、私は立ち上がれなくなり、夫に連れられて病院に行き、そのまま入院となりました。「重症妊娠悪阻」って、妊婦用の雑誌などでは見たことがある言葉でしたが、ホントにあるんですね…。
 明け方の病院で、お腹の中の様子をエコーで診察してもらいました。母体がこんな状態で、赤ちゃん、大丈夫かな。すると先生が、「赤ちゃんはとっても元気に跳ねていますね。」

 え。跳ねている?私はもうヨレヨレのグタグタなのに、赤ちゃんは“元気に跳ねている”!?ほっとしつつ、感心しました。赤ちゃんってスゴイものですね。
 そして先生の、「辛いですね。でも、必ず治りますからね」という言葉が、一筋の光のように聞こえたのでした。

 明けたその日は土曜日でした。夫と私の母に連れられて子リスも病院に来ましたが、私は子リスの顔をチラッと見るのが精いっぱいでした。子リスはその時の私の様子が相当印象に残っているようで、「お母さんあの時、生きてる人じゃないみたいな顔だったよね。“活力ゼロ”っていう感じだった」と言います。

 主治医の先生の顔を知ったのは、入院後3日経ってからでした。先生は、「コンニチハ、主治医のKです。ボクの顔、初めて見たでしょ。ずっとうつ伏せで吐いてたもんね」とおっしゃいました。スミマセン、まったくその通りでした。

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