6年生時代 その⑬ 後日談について私が思うこと

ただ“おとなしい”だけなのに、いじめの標的になる人もいます。

そんな時、「言い返せない方も悪い」「いじめられる方にも問題がある」と、この時代になっても言う人がまだいて、そういう人に遭遇すると心底驚いてしまいます。

いじめられた人は、おそらくいじめる者の“何か”をくすぐるものを持っていたのでしょう。でもそれは100%いじめる側の問題であって、いじめられた方が反省するべきことは、何もありません。ただ、残念なことに、いじめっこはどうしても世の中からはいなくならないので、対処する方法を学んで行くことは身を守ってくれます。

最初、子リスの場合もその類(おとなしい、という理由だけでいじめられる)だと思っていましたが、事情を知ると、どうやらそれとは違ったのかもしれない、とわかって来ました。子リスが言うように、「喋り始めて、友達とのコミュニケーションの仕方がわからず、とりあえずクラスの中で目立っている子の喋り方を真似してみる。でも、それまで全く喋らなかった自分が突然それをやると、ちぐはぐな感じになってしまい、“浮いて”しまう。人を”ムカつかせて“しまう。」そういうことが、きっかけになっていたのかもしれません。

だとすれば、この一件は子リスにとって、自分の「在り方」に気づかせてくれた出来事だったとも言えます。実際、子リス本人はそう捉えています。
でも、だからいじめて良いことにはならないというのは、前回書いた通りです。

 

それから、子リスの後日談の中で、特に私の胸に刺さった発言の1つが、
「自分にも悪いところがあったっていうのは、何となく感じてた。でも、そういう自分に都合の悪いことはお母さんには言わなかった。ずるいよね」

というものでした。しばし言葉を失う衝撃でしたが、その後ある思いが浮かんできました。それは、

自分が嫌な話し方をしていたかもしれない、と気付いたとしても、当時子リスが、それを私や夫に話すのは、まず無理だっただろうということです。ようやく学校で話せるようになって、ちゃんとやってるんだよ、ということを、私達に見せたかっただろうと思うのです。それは「子供のプライド」とでもいうものかもしれません。

いじめられてるとか、嫌われてるとか、しかもそれが、自分の何かに原因があるのかもしれないなんて、カッコ悪くて言えない、と思うでしょう。低学年ぐらいまでなら、親に話して泣いて済むことでも、大きくなるにつれて、段々と言わなくなってきます。
今の子リスがそうであるように、もう少し大人になると、今度は落ち着いて本当に色々なことを話せるようになりますが、思春期真っ只中なんて、一番自分の内面的なことが言えないものだと思います。

私自身の思春期を振り返ってみても、学校であった辛いことや、自分が情けない思いをしたこと、それから自分が誰かに嫌な思いをさせたことなど、両親に話そうとは思えませんでした。それは、親に頼らないんだ、というプライドを育てながら、精神的に自立して逞しくなろうとする、成長の証には違いないのですが、それが上手にできる子はそんなに多くないと思います。更に、助けを求めることを拒否してしまう時期である一方で、色々な問題が一番深刻になり得る時期であるのが困ったところです。

親は何ができるのでしょう。

いつもいつも同じところに戻って来ますが…
やはりひたすら、見守ることしか出来ないように思います。
困ってることない?何かあるんでしょ?
と問い詰めても、答えは引き出せないし、
楽しかった、大丈夫、と子供が言っても、
それが殆ど意味がないことも多いのはわかっています。

それでも、よく見て、寄り添っていることを忘れずにいたいと思います。そして、「いざとなれば、いつでも緊急出動」する気持ちも忘れずに。

子リスの妹のちびリスが思春期の入り口に立っている今、それを改めて思い出そうとしているところです。

 

最後に、子リスに聞いてみました。
「ところで、あの件の後、自分は何か変わったと思う?」

すると子リスは、
「うん。話し方とか、気を付けるようになったよね。それをしなかったら、それこそホントにどうしようもないヤツでしょ!」

と言いました。本当に大きな学びの時期であったのだと思います。

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