ついにやってきました、卒業の日!この日を迎えても、まだ信じられない気持ちでした。あの入学式から6年経ったなんて。
同じマンションの「先輩」から譲り受けたスーツ。
ギリギリ前日に左手の金具が外れて包帯だけになったので、楽に上着に腕を通すことが出来ました。濃紺のスーツに、青・白・紺のストライブのネクタイをしめたら…おー、なかなか立派に見えます。
そう言うと、子リスはちょっと照れて笑いました。
ちびリスも、「オニイチャン、リッパダネー」と見上げています。何というか、スーツ姿が妙にしっくり来るのが不思議です。
学校に着いたら、クラスのみんなに「おまえ、就活頑張れよ」と冷やかされたとか。それを聞いて、ウン、それだ!…就活の学生っぽい…と頷いたものでした。
あれから10年、今子リスは現実に就活中です!(2022年)
卒業式では、呼名、卒業証書授与の時に、一人一人ステージ上で、「将来の夢」又は「小学校生活で心に残ったこと」を発表することになっていました。
(それを160人の卒業生がやるわけですから、相当な時間がかかります。その上に、呼びかけあり、歌も4-5曲あり…と、盛りだくさんの式でした。昔とは随分変わったんだなあ…と思っていましたが、ここ数年は新型コロナのために、全国の卒業式はだいぶ簡素化されました。時代の移り変わりは目まぐるしく、しかも先を読むことはできないものだなあとつくづく思います…)
子リスは壇上での発表に「心に残ったこと」を選びました。
そうだろうなあ…将来の夢が漠然とあったとしても、大勢の人の前でそれを口にするのは、子リスにとっては“ちがう”んだろうな…と思いました。
順々にステージに上がって、将来なりたい職業や、6年間の思い出を言った後、校長先生から卒業証書を授与されます。
子リスの番が来ました。
もう大丈夫、とわかっていても、やはり緊張して見てしまいます。声、ちゃんと出るよね?
果たして子リスは、
「僕は、組体操を成功させたことで、みんなで一つのことに取り組むことの大切さを学びました。」
と、しっかりとした声で発表しました。うん、よくやった。立派!
その時のビデオを今見返していたら、子リスがやってきて、
「なーんかフラフラしてるなあ。あっち見たりこっち見たり。なんでこう、動かないでまっすぐ立ってられないんだろうねー」
と、昔の自分に対して、しきりにダメ出しをしています。
そんな風にに言わなくても…と、私は当時の子リスの肩を持ちたくなって、
「ほかの子だって、そんなに変わらないよ。まあ中には素晴らしくピシッとしている子もいるけどさ、6年生って、まだコドモだもの。子リスだって、ちゃんと言おうと頑張ってるじゃないの。立派なもんです」
と反論してみますが、本人は、
「とにかく、『ピシッとする』っていうことができないんだよね。うしろから行って、『おまえ、もうちょっとちゃんとしゃべれよ』ってハタきたくなるね」
と、小さい自分の後頭部をハタく真似をしては私を笑わせます。
この、“ピシッと立っていられない”癖に関しては、5年生のエントリー「ピアノの発表会」〜「きちんとすることが恥ずかしい」のあたりでだいぶ書きましたが、人目を過敏に感じてしまって、“いたたまれない”様な気持ちになるのは、本当にしょうがないことなのです。
だってそういう人なんだもん。そうできてるんだから。悪いことじゃないでしょ。お母さん(私)は、そういう人、むしろ好きだけどなあ。しかも、子リスはその後、ピシッとできるようになったんだからいいじゃないの。もっと昔の自分を慈しんであげなさいよ。可哀想に。
と言うと、
「慈しんでねえ。そうですか、はーい。」
と、気の抜けた返事をしています。
卒業式から帰ると、家では両家のおばあちゃんとちびリスが、お祝いのご馳走をテーブルに並べて待っていてくれました。
さあ、では卒業パーティーをしましょう!と言うと、
ちょっと待って、これ…。と、子リスから、封筒を渡されました。
お父さん、お母さんへ、と書いてあります。
卒業生が、みんなそれぞれ学校で書いたものだそうです。
えっ、お手紙…!?ありがとう!と受け取り、中身を出してみます。
「今日、無事卒業の日を迎えることができました」と始まるその手紙には、私達への気持ちが綴られていたのですが、その中に、こんな言葉がありました。
「僕がいろいろ出来ないことがあっても、待っていてくれてありがとう。
見守ってもらったおかげで、難しかったことができるようになりました。
これからも心配をかけることもあると思いますが、見守っていて下さい。」
見守ってくれて、の言葉を目にして、ぶわっ…と涙が溢れてきました。
だって本当に、6年間見守ることしかしなかったと感じていたのですから。子リス君が場面緘黙症を克服するために何をしましたか?と聞かれたら、「何もしないこと」をした、というのが一番事実に近いと思います。
入学からの時間が、頭の中を流れて行きます。子リスが言うように、「できないこと」は確かに山ほどありました。喋れないことによって、返事、発表、自己紹介ができない。他にも、着替えができない、プールに入れない。自分で作った決まり事をやるまでは学校に行けない。トイレの問題。それもこれも、子リスはいつのまにか乗り越えて来たのです。私はそれを、先生や臨床心理士さんに相談しながら、ひたすら見守っていただけ、待っていただけのような気がします。でもそれは結構な忍耐力のいることでもあって、焦りが出てしまったり、自分の不調に負けて何だか暗い顔を隠せなかったり…そんなことも沢山ありました。もっと積極的に外へ出て行って、子リスの社交性を育てるような導き方をすればよかったような場面でも、自分の人見知り癖に勝てずに、家に閉じこもってしまった…という憾みもあります。
でも子リスは、私達が待っていたこと、見守っていようとしたことをわかっていてくれたようです。それは私にとって、何よりも、嬉しい言葉でした。
沢山のステップを登って、よく頑張って、6年間の小学校生活を無事に終えたことだけでも十分に嬉しいのに、それに加えて大きな「副賞」をもらったような気持ちでした。
ありがとう、そして、卒業、おめでとう!!
これからも、見守っていくからね。