中学時代 その⑪ ビデオの利用について [2年生]

(初掲載:2013年 加筆:2022年)

 ところで、「ザ!世界仰天ニュース」で紹介されたアメリカの少女はその後、担任の先生の発案で、家で家族と楽しくお喋りをしている様子をビデオに録画し、それを学校でクラスメートに見せるということを試み、それがきっかけとなって、少しずつ緘黙症を克服して行きました。

 実は当時(小学校1~2年生時代)、特殊教育の専門家である昔の友人に子リスの事を相談していたのですが、彼に、「喋っている声を録音して、クラスで聞かせる」という方法を教えてもらったことがありました。友人は、「それも『あり』だと思う」という控え目な言い方で紹介してくれ、私はそれこそ、「へえー、そんな方法もあるんだ!」と、考えもつかなかった方法に驚いたものでした。そして、もしかしたら…と思い、子リスが国語の教科書を音読する様子をビデオに録るところまではやってみました。

 でも、それを先生にお願いして、クラスで見せてもらうようなことはしませんでした。
それは、その頃はまだ、「喋れない」ことが子リス本人にとって「漠然とした」感覚であり、それをはっきりと認識することを、どこか必死に避けているように見えていたからです。
たまに会う親戚や知り合いに、
「子リス、学校で喋ってる?」
と聞かれると、苦笑しながら
「まだちょっと…」
と答えていたものでした。
僕は喋る準備が出来ていないだけなんだよ。喋っていないことを問題視しないでくれ、と言っているように、私には思えました。

 だから、その段階で「子リス君は本当は喋れるんですよ」とクラスでビデオを見せたりすることは、「みんな、僕が喋れないことに関心を持っている」「僕の今の状態は問題なんだ」という意識を強めてしまうような気がして、まだその方法はとれないと感じたのでした。
 また、子リスの性格についても、(例えばアメリカの少女と比べて)そんなに素直じゃない、といって悪ければ、勘がよくて複雑だ(つまり一筋縄ではいかない…)と感じていましたから、私の提案を受け入れないだろうとも思いました。

 実際は、試してみたらどうだったのかな…。「仰天ニュース」でのビデオの利用を見てから、改めてこの方法について考えた私は、子リス本人に尋ねてみました。

「そんな方法もあったんだね。これ、やってみてたらどうだったかな。」
「ボクにはちょっと…。」
「どうしてそう思うの?」
「うーん、そうやって特別に何かされるのはイヤだったと思う。『喋るのが少し苦手な子』ぐらいに思っていて欲しいのに、そういう風にクラスでビデオを見せられたりしたら、『喋れ!喋れ!』って言われてるような気がしたと思う。」
「そっか。そうだよねー。ナルホドね。」

 でも、やり方によっては、それから、本人の状態によっては、クラスでビデオを見せたり、録音を聞かせたりする方法も有効だったかも知れない…とも、今は私は思っています。本人に黙って、という訳にもいかないでしょうから、無理のないようにちゃんと話すか(どうしてもイヤだと言えば仕方がありませんが)、または限りなくさりげないやり方で(偶然を装うなど…?)、とにかく「自分が喋っている様子をクラスメートが見た」という経験をしたら、固くなっている声の出口が少しやわらぐような、心の状態に近づける可能性はあるような気はします。

2 COMMENTS

しまりす

はじめまして。私は30代ですが、最近自分自身が場面かんもくであったことを新聞で知りました。症状が全く同じなのです。
小学校1年のとき、家でしゃべっている声を録音され、何の説明もなく学校でみんなの前でそのテープを先生が流されました。私にはその方法は恐怖でしかありませんでした。同級生には、学校でもあんなふうにしゃべって!余計に注目され、苦しかったことを今でも忘れることができません。すべての人に有効な手段ではないように思います。
でも、かんもくで学んだこともあります。今、私は介護をしています。社会になかなか適応出来ない人の気持ちがよくわかるようになりました。その経験が今役に立っているように思います。

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おかあさんリス

コメントをありがとうございます。そして、貴重なご意見に感謝致します。
ブログに書いたように、ビデオや録音を教室で流す方法は、子リスにとって、少なくとも当時の段階では「準備ができていない」かつ「向いていない」と思われたので、結局は試みることはしませんでした。しまりすさんからのご意見で、やはりその子供の個性や、周りの状況などに限定される方法なのだと、改めて教えていただきました。ありがとうございます。
更に、突然「何の説明もなく…」というやり方が、ご本人には「恐怖」の体験であり、そしてクラスメートからの反応が「学校でもあんなふうにしゃべって!」というものになったということは、少なからず衝撃でした。経験した方にしかわからないことですね。
「どうやったら喋るようになるか」に、周りは時として躍起になりますが、その子がどんな気持ちで過ごしているのかに寄り添うことが、やはり何より大切なのですよね。

そして、今介護のお仕事をなさっているしまりすさん。ご自身で感じていらっしゃる通り、「社会になかなか適応出来ない人の気持ちがよくわかるように」なることに、昔の経験は大きく役にたっているのではないでしょうか。
集団の中で、活発に発言出来たり、リーダーシップがとれたり、気軽に誰とでも話が出来たり…という存在でなかったからこそできる、長じてからの気遣いというものが確かにあると、子リスを含むいろいろな人を見る時、思います。

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