夏休みが明けて2学期が始まると、もう運動会は数週間後に迫っています。 毎年「今年は子リスは何をやってくれるのか!?」という期待に胸膨らませる(?)時期です。
ここでちょっと子リスの運動会をおさらいしてみると…幼稚園の年中時代は「全く、何もせず」。ダンスは踊らず、年長さんと手をつないで障害物を超えていく競技では、お友達と手をつなぐということができないので相手の子にTシャツの裾を握ってもらい、玉入れでは、先生に手渡してもらった玉をその場にぽいっと投げ捨て、そしてかけっこはゆっくりとゴールまで歩きました。年長になってダンスはやるようになりましたが、かけっこはなぜかスキップでゴールまで通し、見に行っていたお祖父ちゃん、お祖母ちゃん達を唖然たらしめたのでした。(今子リスは、当時のビデオで自分の姿を見て、「これは『かけっこ』っていう競技じゃないからね。年中は『歩っこ』、年長は『スキっこ』じゃん」とうそぶいています)
小学校1年生の運動会で初めて、徒競走という種目ををマトモにこなし(スタートのピストルの音が怖かったため、びくびくしているうちに大きくスタートが遅れて順位は勿論ビリでしたが)、二年生では団体競技の「デカパン競争」で、前年に引き続きスタートのピストルが怖くてデカパンツを持つ手で耳を塞いでいたため、一緒に走る他の3人の顔まで隠してしまいました。またこの年は、運動会の数日前まで熱があって学校を休んでいて、病み上がりの状態での参加でした。
さて、今年の運動会の見どころはというと、「ダンス」です。 3年生のダンスは、「ドン・ドン・ドドンコ」という曲で、太鼓のバチを持って踊るのだそうです。子リスは、家でダンスの練習をしたりはしませんでしたが、「ボクは前から3番目で、この辺からがいいよ」と、どこから見たらいいかを教えてくれていました。(こういうところが子リスの面白いところで、参観日でも発表会でも、見てもらうことをいつも望んでいました。)
子リスに言われた場所に陣取って見ていると、3年生が全員黒いTシャツにそれぞれの組の色のハチマキという衣装で揃えて入場して来ました。 バチを打ち鳴らしたり、隊形移動をしたり、みんなで掛け声を掛けたり、なかなか見ごたえのあるダンスです。 そして子リスは…一生懸命みんなと一緒に踊っています。「ヨイヤ、サー!」の掛け声のところだけはきゅっと口を結んでいますが、それ以外はちゃーんとやっています。 …いや、結構上手かも…。すごいすごい!
こうやって、毎年何かしらの進歩があって、毎年喜んで来たことになります。ここにおいても、保健センターのUさんが教えて下さった「スモールステップ」の大切さを改めて感じます。親も本人も、スモールステップを意識することによって救われると同時に、それを励みに進んでいける、その連続だと思います。決して自分たちを納得させるための慰めなどではなく、実際に進歩していくために最も必要な心の持ち方だと、何度も感じて来ました。小さな進歩を見つけて喜ぶことができたのは、本当にUさんのアドバイスのおかげなのです。
子リスは、一生懸命に踊っています。 こんな時、場面緘黙症の本に書いてあったことが頭に浮かびます。 「場面緘黙の子供は、集団生活の中で、言葉を出す以外のことはみんなと同じように、もしくはそれ以上にきちんとしようとする傾向もみられます。それは、目立たないようにという意識の働きとも言えます」
なるほど。確かに、踊っている様子は周りのみんなの中で違和感なくやっています。
でもここでもう1つ頭に浮かぶのは、1年生の運動会を見に来て下さったF先生(幼稚園で、年中、年長とお世話になった先生です)がおっしゃったひと言です。 一生懸命ダンスをしている子リスを見て、「だって子リス君、本当はこういうの好きなんだものね~」 それを聞いて私は、「さすがF先生、よくわかってらっしゃる!」と思ったものでした。
そうなのです。意外といえば意外なのですが、子リスはダンスが好きでした。 子リスの踊る姿を見て、私は、「これは目立ちたくないからちゃんとやる、とかそんなことじゃないなあ…」と思っていました。「子リスは、好きで踊ってる!」
ダンスと言えば、人に見せるもの。 運動会でのダンスを見る度に、この子は本当は目立ちたい、見せたがりの欲求が強いんだろうなあ、と感じていました。
ただそれと同時に、見られる事に関してとても自意識が強く、そのあたりのバランスの悪さが、緘黙という状態の要因の一つなのかもしれない、とも思っていました。 それは、もちろん普段の子リスの様子をあれこれ見ている中で感じたことですが、実は私自身がそういうアンバランスさを(子供の頃から)持っていて、共感するものがあったからだと思います。