中学時代 その⑳ 勉強の冬 [3年生]

志望校が決まれば、あとはとにかく、一生懸命勉強するだけです!
子リスは、持ち前の「計画力」を遺憾なく発揮してスケジュールを作り、コツコツと勉強を進めていました。その様子は私にとっては、

なるほど…あの凝りに凝った「時間割」や謎のプロジェクトの数々…あれらは、こういうところで役に立ったりするんだ!という、ある意味“伏線回収”ができたような思いです。子供なんて、やっていることの9割方が大人から見たら「意味のないこと」なわけですが、きっとそれが大事なんだろうなあ、と思います。ぼーっとしたり、訳の分からないことにこだわったり、繰り返したり、集めたり。

子リスに関しては、時には「ホントにこの子は大丈夫か?」と、かすかな不安がよぎったりしたこともありますが、無理にやめさせたり、水をさすようなことを言ったりしなくてよかったなあ…と思うのでした。

ただ、先ほど“伏線回収”と書きましたが、それはあくまでも結果論であって、子供は「将来のために」何かをやっているということは一つもなく、ただ“子供”を一生懸命やっているだけです。そして、そうあるべきなのだろうと思います。その自由な、とりとめのない、縛られない時間に育まれるものが、後々宝物になっていくのでしょう。

計画魔子リスの作った勉強スケジュールは、「やりたいことを我慢する」のではなく、「やりたいことを全部やる」ための計画であったため、年末年始を返上することもなく、テレビで大好きな大相撲を見るのを我慢することもなく、夜中まで勉強するわけでもなく、“盛りだくさんだけれども無理のない”ものになりました。

そして、そんな姿を見守っていた、当時の私の気持ちは…
私達の時代とはだいぶ受験事情も違えば、受験への取り組み姿勢も変わったものだと思っていました。

私達(モチロン昭和です。)の頃の受験勉強には、「蛍雪の功を積んで悲願を達成する…」といったイメージがまだ多少は残っていました。私の父などは、「四当五楽」という、今では死語になっているような言葉を実際に口にしていたものです。受験生に娯楽なんて以ての外、楽しみの全てを犠牲にして臨まなければならないのだ、と思い込まされていたところがありました。おそらく、受験生=どてらに必勝ハチマキ、の時代の終わり頃です。

現代は科学的なものの考え方が広まっているので、今「四当五落」なんて言うお父さんお母さんや先生はいないでしょう!むしろ、ちゃんと睡眠を取らないと勉強の効率は下がるし、本番でも実力を発揮しにくいということは誰もが知っていることです。

でも、その正しい知識とは裏腹に「昭和的感覚」が大いに残っていた私には、集中しつつもあくまで平常心で受験勉強に望んでいる子リスは、やはり不思議というか…要するに新しい人種に見えるのでした。ホントにダイジョウブなんだろうね?後で、「ホラ、やっぱりテレビなんか全然見てる場合じゃなかったじゃないか!時代が変わったって受験勉強ってのは…」と言う様な羽目になったりしないか?…、と多少不安を感じたことは事実です。

でも、とにかく見守るしかありません。自分で考えて頑張っていることは確か。これがどうなるのか、神のみぞ知る、です!

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