4年生時代 その③ 恒例!登校班自己紹介の朝

 新年度が始まり、新一年生を加えた新編成の班で登校する第一日目です。
新しいことがいっぱいで、一年生ならずともぴかぴかの気分になる日です。数々の問題を抱えた(ゴメン)子リスでさえも、「そりゃあ楽しみだったよ。」と当時を振り返ります。

 しかし!第一日目ということは…子供達とそれぞれの親が、登校班の集合場所であるマンションのエントランスに集まって顔合わせをする「自己紹介の朝」が、今年もやって来たということです。これも、子リスにとってもう4回目になります。

「〇年〇組の△△△です。ヨロシクお願いします。」と、班長以下1人1人挨拶をしていくわけですが、これが子リスにとって、とんでもなく高いハードルであることは改めて言うまでもありません。
 子リスが自己紹介をする番が回って来たら、まずは子リスの様子を窺って(突然声を出すとは考えにくいけれども、万が一ということもあるから)1~2秒待ってはみる…ものの、やはり声が出てこない。そこで、子リスに過剰な注目とプレッシャーがのしかかる前に、私が「〇年〇組の子リスです。ヨロシクお願いします。」と挨拶をし、司会のお母さんももう事情は分かっていますから、そこはさりげなく、ハーイ、では次の人、と進めて下さったものでした。
 昨年は、自分で挨拶が出来なかったことに少々決まりの悪い思いをしているように見えました。だから今年はもしかしたら、「頑張ってみよう」と子リスは思っているかもしれません。

 さて…。6年生の班長さんが挨拶をし、次に新一年生が自己紹介をします。みんな初めてなのにハキハキと素晴らしい。すごいなあ。よくこんなに出来るものだなあ…。3年間子リスに慣らされただけでなく、自分自身が相当に引っ込み思案だった過去がある私としては、こうやって初めての場で、堂々と、みんなに聞こえる声で自分の名前が言えて、更に「よろしくおねがいします」なんて大人っぽいことを言えるなんて、唯々不思議でならないのです。ひたすら、(いや~、どうして皆揃ってこんなに立派にできるんだろう?)と感心するばかりでした。

 そんな思いで子供達を見ているうちに、子リスの番が近づいて来ます。
 今日は家から出る前、何となくいつもとは違った雰囲気が子リスから感じられていました。もしかすると、もしかするぞ…。

 子リスの前の子の挨拶が終わり、みんなの視線が子リスに移動します。
 子リスの後ろに立っている私には、子リスが、声を出してみようかとちょっと力を入れているような気がしました。出るか?出るかな?

「・・・・・・・・・・・・・・」

息のつまる数秒間。それ行け!ひと声出そう!
と思った時、司会のお母さんが「じゃあお母さん、お願いします」と私に合図をくれました。いや、もうちょっと待ってやって下さい、とも言えず、仕方なく私がいつもの挨拶をして、子リスの番は終わってしまいました。

 今年も、ダメだったかぁ。
 急に胸が塞がれて、顔が火照ってくるのを感じました。いくら何でもここで私が泣くわけにはいかないので、ガマン、ガマン。
 司会のお母さんの判断は、当たり前のことでした。あまりにも長く沈黙が続いては、子リスも辛いだろうと思って下さってのことでしょうし、子供達は顔合わせが終わればすぐ、学校へ出発しなければならないのですから。
 そして、声が出なかった子リスも、悪くありません。でも私は、悔しくてたまりませんでした。

 今年もダメだった…。悲しくて悔しい思いに包まれながら、子供達と共に外へ出ました。そして、去年より一層項垂れて歩いて行く子リスを見送った後、お母さん達が、「お疲れ様!」と口々に挨拶をしてそれぞれの部屋に戻って行く中、私も同じ様な笑顔をつくるのが精いっぱいでした。そして部屋に戻った瞬間、どっと涙が出てきました。
 子リスが挨拶を出来なかったことが悲しかったのではなく、子リスが、自分自身に失望してしまったのではないか、という心配と、何だか正体のわからない悔しさで、本当に久しぶりに泣きました。

 あの時、つまり4年生の自己紹介の朝、「今年は自分で言ってみよう」って、ちょっと思ったりしたの?と今の子リスに聞いてみます。後ろにいたお母さんは、前の年までとは違うものを子リスの背中から感じた気がしたんだけど。

すると、
「言ってみようかな、とは…思ってなかった。」
という答え。

「思ってなかったの?」
「自分で言うつもりは、全くなかった。」
ガクッ。なーんだ。思ってなかったんだ…
「全然?ホント?そお?」
と食い下がってみましたが、
「自分は『そういう人じゃない』と思ってたから。『声を出す人じゃない』って、自分のことを思ってたもん。言わないって“決まってた”というか。」
「“決まってた”!?」
「声を出さないのは、いけないことだろうなーとは思いながらも、言う気は全くなかった。というか、誰かに言ってもらうのが当たり前だと、無意識に思っていたからね。」
「へぇー…。」(本人にそう言われては、へぇーとしか言いようがありません)

「ただ…」
と子リスは続けます。
「恥ずかしいと初めて思った年ではあったかもしれない。」
「そうなんだ…」
「自分より3つも下の学年の子がちゃんと声を出してるのに、自分は出せない訳だから。『あのお兄ちゃんなーに?』って思われてるかな、って思って、これはモンダイだぞ、と。」

 恥ずかしいと思ったとすれば、それは、3年生の終わりごろに「子リスは喋れないことを困っていない・それでいいと思っているのでは?」と私が懸念していた状態を脱しつつあるということです。恥ずかしいという気持ちが沸いたというのは成長の証。自分を見つめる能力の発達というものでしょうから。
 でも、この自意識がはっきりしてくればするほど、「でも喋れない」状態は、本人にとって急激に辛いものになっていたのだろうと思います。

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