4年生時代 その㉒ 負けず嫌い

子リスは、運動神経が悪い、というのではないのですが、運動が大好きというタイプでもありませんでした。
ここまでの経緯ですでに伝わっていると思いますが、要するに、サッカーやドッジボールで、「パス!パス!」「「いくぞぉ~!」「くっそぉ~」などと元気な声を上げてハツラツと動き回るタイプの、対極にいたというわけです。
子供の運動能力はある程度、気持ちと比例している部分もあるように思います。活発な子は、やはり運動も得意になって行きやすいようで、私の母など、まさにその典型です…

私の両親は、二人ともものすごく足の速い人達でした。地元ではそれぞれ、右に出るものはいない俊足で、毎年地区の大会で優勝していました。特に母は、5年生の時に6年生に交ざって、学校代表チームの一員としてリレーに出場。第一走者を任され、並み居る韋駄天達をも寄せ付けず、ダントツ一位で第二走者にバトンを渡しました。そしてそのまま優勝・・・と思いきや、アンカーの女の子(6年生)が最後の最後で抜かれてしまい、母のチームは惜しくも二位になったのでした。すると母は、その抜かれた6年生のところに行くといきなり、その子の頭をポカリと殴りました。するとその子は、「堪忍な。」と、申し訳なさそうに言った、というのです。

その話を聞かされた時、私が「ひどいねえ…。」と感想を言うと、「だってせっかく一位で行ったのに、最後に抜かされるんだもの…」と、今もって反省の色あらず。私は、叩かれたその6年生の女の子(今はもう90歳になっているはず)に、母の代わりに謝りたい気持ちでいっぱいです。

…とにかく、それほど足の速い二人が結婚したので、「私達の子供は、何が出来なくても、足だけは速いだろう」と言い合ったそうです。ところが世の中そう上手くは行かなくて、7つ年上の兄も、私も、全く足が速くはならず、期待に胸を膨らませて応援に臨んだ運動会で、両親は落胆のため息を二度、漏らすことになったのでした。私の場合、足そのものも遅かったのですが、とにかく競争心ゼロで、徒競走の意味がわかっているのか疑わしいほど、幼い子供だったといいます。
そんなところも子リスは似てしまい、それも申し訳ないキモチでした。

でも、そんな私も長じるに従って、それなりの競争心は芽生え、ついでに嫉妬心やらプライドやらもくっついて来たので、子リスもまあ、そのうち変わっていくのだろうと思っていました。
1年生、2年生の頃までは、本当に「君、やる気ゼロだよね?」と言いたくなるような様子でしたが、そのうちに段々、それなりに「欲」が出て来たようにも見えていました。

実際、子リスの日々の言動を見ていると、競争心がないわけではないことがわかります。
「負けるとわかっていること」「できないこと」は最初からやらない、という、いわば究極の負けず嫌いの様子が見えるのです。これはいいとか悪いとかではなく、大人でもそういうタイプの人と、負け戦とわかってもがむしゃらに突き進むタイプの人がいるのと同じなのでしょう。それぞれに、いい目にあったり悪い目にあったり、違うタイプの苦労をしているのだろうな…と思います。ちなみに私は、子リスと同じ「隠れ負けず嫌い」タイプです、多分。

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