4年生時代 その㊱ フェイド・イン

思い起こせば1年生時代…。トイレに行きたいことを伝えるのに苦労していた子リスに、担任のA先生は、「先生の耳のところで、内緒話で教えて。」と言って下さました。ところが、先生の耳元で「トイレ…」と伝えた子リスの声は、内緒話の“ひそひそ声”にすらならず、口だけが動いて、息はどちらかといえば吸い込み気味、つまりは窒息しているような声になっていたというのでした。そのことを初めて先生から聞かされた時は、結構なショックだったのを覚えています。
要するに、子リスは「声が小さい」のではなく、息が喉を通っていなかったわけです。喋ろうとすると喉が塞がって、蓋が閉まった様になっていたために、声どころか空気も通っていないのでした。

ではその「蓋」は一体どうなったのでしょう?
「蓋」の閉まった喉のまま、声というものを一切出さずにほぼ4年間過ごして来たのに、そこに変化があったとすれば、どういうことが起こっていたのだろうか…息が声帯に当たって出て来るようになったのはどうしてなんだろう…そんな疑問が、当時もあったにはあったのでしょうが、子リスに尋ねてみることはしませんでした。

声らしきものが出始めた頃、「声が出ていること」に意識を向けさせたくなかった、というのは前回書いた通りです。だから「なんで喋れたの?」なんて、聞きたくても聞けませんでした。(もし聞けていたとしても、多分子リスがそれを上手く説明できていたとは思えませんが)
ただ、本人から「今日は〇〇の時間に当てられて、ちゃんと答えたよ」、という報告があれば、「おお~、よかったね!!」と言うだけです。

そこで、当時聞けなかったことを、ある日の夜、お茶を飲みながら子リスに聞いてみました。

「ところで、例の『蓋』はどうなったんだろう?」
「蓋は……劣化して、機能停止した…。」
「劣化…!へえー…じゃあ、すこーしずつ、空気が通るようになったっていう感じ?」
「うん、そうかな。」

更に子リスは、こんなことを言います。
「…『フェイドアウト』って、あるでしょ。曲の最後とかに。」
「あ、うん。だんだん消えていくやつね。」
「動画作る時、その逆の『フェイド・イン』っていうのがあるんだけど」
(子リスは、趣味で動画編集をしたりすることがあります)

「フェイドイン?」
「そう。無音の状態から、少しずつ音が入って行って、聞き取れるようになる。
そういう感じだったんじゃないかな。」
「ふうん…なるほど…!」
「だから、『音量ゼロ』だったのが、殆ど聞き取れないぐらいの音量…音楽記号で言うと、ピアニッシッシモだっけ?pが3つ、pppって書くやつ」
「そうだね、ピアニッシッシモ。一番小さいボリュームね。」
「そうそう。音量ゼロから段々、そのpppになったんだよね。時間をかけて。」
「…なんでゼロから抜け出せたんだろう?」
「多分、先生に言われて、隣の人にだけは聞かせてみよう、とか、最前列の人にだけはわかってもらおう、ってやってるうちに、かな。」

そして子リスは、こう付け加えました。
「ボタン電池の入ってる防犯ブザーとかに、使い始める前は電池が減らないように『絶縁体』って入ってるでしょ。あの絶縁体を引き抜くようにいきなり声が出る、なんて、そんな簡単にはいかないってことだよね。」

「そりゃそうだよねえ…」
と私は答えながら、本当にそりゃそうだろうなあ、と、声が出なかった時間の長さを思っていました。

昔聞けなかった貴重な事実を教えてもらったことに感謝しながら、もう1つだけ疑問が残っていることに気付きました。
友達に聞こえるように頑張ってみようと先生に言われて、やってみているうちに「蓋」が劣化して、声が「フェイド・イン」していった…ということはわかった。でも、そんな状況に立たされた時に、拒否反応を起こして「蓋」がもっと強化される、ということも有り得たのでは?どうして蓋は劣化していったんだろう?

そう聞くと、子リスは
「『絶対に喋れるようになってやる!』…って思っていた訳じゃないんだけど、
でも、『ずっと喋らない』とも思っていなかったから。」
と答えました。
「いつか喋れるようになるぞ!」という意気込みではなかったことは、当時の様子からも、子リスの生来の性格からも、納得できます。でも、「ずっと喋らないとも思っていなかった」というのはちょっと新鮮な響きです。

「病気っていうレッテルを貼られなかったからだと思う。もし、あなたは場面緘黙症という病気です。喋れない病気なんです、って言われたら、ああ、そうなのか、って思って、多分もっと長い期間、喋ろうとしなかったと思う。」
と、子リスは言いました。

そういえば以前にも、
「お母さんが『いつかは喋れるようになるんだから、そう思ってなさいよ』って言ったから、そうなんだろうと思ってた。」と言ったことがありましたが、その時私は、「えっ、そんな単純なことで!?」と驚いたものでした。

「いつかは喋れると思っていたこと」が、蓋を劣化させてくれたとすれば、
それはこれからの子リスの人生において、何とも心強いことだなあ、と思います。
「こうなりたい」「こうなるんだ」と心に思うことの力を、身をもって体験したということになるのですから。

それにしても…
そんなじゃ一生喋れないよ!なんて言わなくてよかった…。勿論、そんなこと思ってはいませんでしたが、不安のあまり口走らないとも言えなかったかなあと…。セーフ…。
(とは言え他の場面においては、子リス(とちびリス)を育てる中で、数々の失言もあったという自覚があります。ううう…)

能天気に過ごした3年生時代を過ぎて、「少し困ったほうがよいのではないか」という私の勘働きがあり、「そろそろ頑張ってもらおうかな」という先生の気持ちがあり、そして、ハタと自分の事実に気付いた本人の自覚があって始まったこの一年でしたが、それも終わりに近づいていました。
頑固に閉まっていた喉の「蓋」は、「その時」を迎えて少しずつ穴が開き、声を通すようになりました。それは、「いつかは喋れる」と漠然と信じていた子リスの思いが成したものでした。でも、子リスがそうするのを可能にしたものは、子リスにとっての「場面」=教室、先生、クラスメイトへの信頼、安心感です。子リスの挑戦を温かく、辛抱強く待ち、少しずつ、楽しく、時には力強く促して下さったO先生の指導によって、子リスは「その時」を迎えることが出来たのです。

「4年生時代は、大変は大変だったんじゃないかな。自分なりに頑張っていたんだろうな、と思う」と子リスは言います。当時「辛い」と意識していたかどうかは別として、大きな山を越えるような一年だったことは確かです。
でも、苦労したり困ったりすることを避けずに経験させて、そして受け止め、励まして下さったO先生のお陰で、4年生は、「小学校時代のランドマーク年」とも言えるような一年になりました。

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