5年生時代 その⑧ きちんとすることが恥ずかしい。(1)

私が小学4年生の時―――

運動会の、開会式での出来事です。
開会式のプログラムには、たいてい「準備体操」という項目があります。これから走ったり踊ったりする前に、皆で体操(多くの場合はラジオ体操第一でしょうか)をして、体をほぐしておこうというものです。その時には、体育の先生などが台の上に立って、見本の体操をすることが多いと思いますが、私の小学校では、それは先生ではなく体育委員の仕事でした。そして体育委員だった私に、その役が回って来てしまいました。委員長だったわけでも、体育が得意だったわけでもなかったので、じゃんけんで負けたとか何とか、おそらくそんな経緯だったのでしょう。
でもまあ、大した仕事ではありません。曲に合わせて、やり慣れたあの体操をやればいいだけです。きっと大丈夫。

ところが実際には、そうカンタンには行かなかったのです。
いざ台の上に立ってみたら―――目の前には700人余りの全校生徒。その全員の視線が私に注がれていると知った時、これは本当におかしな感覚なのですが、「自分だけが裸で、人前にさらされている」ような感覚に突然襲われました。その光景と恐怖を、今も鮮明に思い出すことができます。

どうしよう、怖い。そう思った瞬間に体がすくみ、目眩がして、体がぐらぐらしはじめました。音楽のカセットテープをかける係の先生は、私がピシッと静止するのを待っていたのでしょうが、どうしてもまっすぐに立っていることができないのです。台の下にいた先生に「なんでぐらぐらしちゃうんだ?」と聞かれますが、何が起こっているのか自分にもわからず、答えることもできません。

とにかく始めよう、ということで先生はテープをかけ、音楽が鳴り始めました。いよいよ体操をはじめなければなりません。何とか最初の、腕を上に上げる動作をしようとしますが、私の腕は肩から上に上がりません。体操の動作の、どれ一つとしてまともに出来ないのです。これでは「体操の見本」になるどころか、おそらく全校で一番下手くそな体操だった筈です。体中に全校生徒の視線が突き刺さって自由が利かなくなってしまった状態で、恐怖と羞恥心に耐え続けたあの時間は、私にとってまさに“地獄の”3分間でした。

これまでの人生の中で、心底惨めな気持ちになった経験は数々ありますが、この「準備体操大失敗の巻」はその中でも特筆すべき(?)ものの一つです。私の自己評価をぺしゃんこに押しつぶしたこの出来事は、その後何かある度に「ああ、やっぱり私は人前に出て何かをすることは出来ないんだ」という気持ちを塗り重ねる土台になった気がします。

きちんとすることが恥ずかしい、という気持ち。その正体は一体何なのでしょう?

それまでも、決して自信に満ち溢れた子供ではありませんでしたが、これ以降更に、人に見られることへの恐怖が増していったように思います。

それは、この時のように、大勢の注目を浴びる時に限ったことではありませんでした。普段の体育で準備体操をするときや音楽の時間に歌を歌う時、朝礼で校歌を歌う時。誰も私のことなんか見ている筈がない時にでも、「自分の歌う声を聞かれたくない」「自分の動きを見られたくない」という気持ちに、突然鎧のように固められ、身動きが出来ななってしまう、ということが時々ありました。

普通にする、きちんとする、というのが一番目立たない。きちんとしないのが恥ずかしいことなんだよ。なんでふらふら、ぐずぐずするの?と、何度となく家族に言われたものです。でもそれは、突然発作的に起こるので自分でもどうしようもなく、叱られてもただ黙って困っているしかありませんでした。そして、誰かに言われるまでもなく、自分でも思っていました。どうして普通のことが出来ないんだろう。小さい子供なら「恥ずかしい」で済むこと。でも十分大きくなった今、どうしてこんな風になっちゃうんだろう?
誰よりも、私自身が理解に苦しみ、困っていました。

実は今になって思うのですが・・・
声が出なくなっていた私は「場面緘黙」、開会式の私は「緘動」の状態にあったのかもしれません。

この感覚を理解してくれる人は、多くはないかもしれないけれど、少なくもないのではないか、と思っています。
少なくとも、子リスは理解してくれるはず!。

本来子リスを理解しようとして書いているこのブログですが、急に私自身のことに思い当たったのです、しかもこんなに時間が経った今。

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