3年生時代 その② 通学班と自己紹介

 新年度、「担任の先生との面談」と並んでもう一つ、こなさなければならないことがありました。それは「通学班の顔合わせ」です。
 私達の住んでいるマンションには、当時小学生の子供がたくさんいて、一班6~8人の通学班が常時二つから三つありました。またその頃は、朝子ども達が学校に出掛ける時にお母さん達が一緒にロビーまで出て行って、班の子ども達が揃うのを確認し、全員集まったところで「行ってらっしゃい!」と送り出すのが、このマンションの習わし(?)になっていました。(そうやって子ども達を見送った後、私達は何となくそのまま残って世間話をしたり、学校のことについて情報交換をしたりして、20~30分過ごしたものでした。今は子どもの数が減り、お母さん達も忙しくなって、その習慣はなくなってしまったようですが、あれはあれで、のんびりしたいい時間だったなあ…と思い出します。)

 四月になると新一年生が加わり、最高学年の子は新班長や新副班長になって、新しい班編成となります。それで最初の登校日には、親子全員がロビーに集まって顔合わせをすることになっていました。子ども達が一人一人、自己紹介をします。
まずはは班長さんから。「班長になりました、六年〇組の、〇〇△△です。」(パチパチ…拍手)続いて他の子ども達も、順々にクラスと名前を言っていきます。
 新一年生にとっては初めてのことなので、モジモジ恥ずかしそうにしながら、やっと聞こえるくらいの声で名前を言う子もいますし、反対にとても元気よく、張り切って立派に挨拶する子もいました。一年生の時の子リスは…「困った笑顔」(この表情をしている時がとても多かったなあ…と思い出します)で黙っていました。でもその時は「まだ一年生だからね」という空気にも助けられ、私自身がまだ「緘黙症」というものも知らず、「まあそのうち(=近いうちに)何とかなるだろう」と考えていたので、さほど気にもしませんでした。
 翌年、二年生になった時は、「元気に挨拶する1年生に触発されてもしかして…」という淡い期待を抱きましたが、そんなにカンタンに声が出るようなものでないことは、その後私もだんだんにわかって行くのでした…

 それでもやっぱり三年目も、「ひょっとしたら、次々に挨拶をする子ども達の波に乗って、ぽっと声が出たりして…」と、新年度はつい希望的になります。しかし結果は…子リスの前の子の挨拶が終わって、さあ、というタイミング。(それっ、行けっ!)
 シーン…。今時計の秒針を見ながら想像してみると、おそらく五秒ぐらいかと思うのですが、沈黙としてはそれぐらいが限度です。結局いつものように、後ろに立っている私が代わりに「三年〇組の、子リスです」と挨拶をしました。
 子ども達はみんなそれなりに緊張しているので、「なんで自分で言わないの?」などと聞く子はいませんでしたし、お母さん達の間でもその頃には、「子リス君はすごく恥ずかしがり屋」だから…ということになっていて(まあ、それはあながち間違いとは言えませんが)、それ以上何か言われたりすることもなく、温かく見守ってもらっていました。
 でも本人は…?自分より小さい一年生、二年生が立派に挨拶をしているのに自分は一言も出なかった。その事実が、子リスの気持ちにどう響いていたのかはわかりません。でも少なくとも、元気一杯に出発しては行かなかったことは確かです。

新年度は、緊張もするけれど、何かを変えるチャンスでもある時です。その最初の一歩を、「ああ、また出来なかった…」という気持ちで踏み出したとしたら…。どうかこれで、ボクはだめなんだなあ、などというレッテルを貼らないで欲しいと願いながら見送ったものでした。


登校風景。
この年は8人×2班でした。ちなみに前の年は3班。この国の少子化なんて全く感じられない場所もあるのです…。

 

2 COMMENTS

うさぎ

いつもお世話になっています。香川県のうさぎです。

いつも思うのですが、おかあさんリスさんが子リスくんの成長を学年によって理解されているところが素晴らしいと思います。
子育てで大切なのは、子どもを観察することからなのだと改めて思いました。

現在息子は高校生で、学校では聞かれたことに対して小さいながらも声を出しているようです。お弁当はひとりで食べているようです。

中学生の頃は少しスモールステップの取組らしきものをしていましたが、今は特になにもしていません。また再開したいと考えているのですが、何かいい案があれば教えていただけたらありがたいです。

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おかあさんリス

お返事が遅くなり、申し訳ありません!!

息子さんが、「聞かれたことに対して小さいながらも声を出している」というのは、二つの意味で素晴らしいなと思います。

一つは、声が出ているという事実です。
本当に緊張している時、声どころか、空気自体が出ないという状態があります。
息子は小学校時代、先生から「内緒話でいいから、先生にお話しして」と言われたことがよくありましたが、その頃は、ひそひそ声だろうと何だろうと、とにかく喉で息が詰まって出てこない、ということでしたから、そこから「空気が通って」「声になる」というのは大きなステップだと私は思うのです。

二つ目は、聞かれたことに返事をするということは、コミュニケーションの基本であって、それをきちんとしているのが、もうそれだけで大きな価値があると思います。

高校生になると、だいぶ親のコントロールの範囲からはみ出してくる上に、親に言わずに自分だけで考えたり感じたりしていることも多々あるのでしょうから、親としての取り組み方も、根本的に変わってくるような気がします。
喋るのがちょっと苦手、ということは置いておいて、いろいろな日常のミッションをクリアできると、年齢なりの自信の底上げのようなことができるように思います。ちょっとした手続きや買い物、メールなどの本当に小さなこと、声を出さなくても済むものでも、回数が重なっていくと、自立心が育っていく助けになると思うのです…。
また私も考えてみますね!!

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