3年生時代 その⑯ 私は「何もしない」をする

子リスが1年生の時には、「場面緘黙症」という言葉と初めて出会ったことで、どうすればいい?何をすればいい?とがむしゃらに情報を集めたり、担任の先生や臨床心理士さんに相談に行ったり、と、かなり慌ただしく過ごしていました。
  2年生になる頃には、心身の慌ただしさは多少落ち着いたものの、やはり子リスが学校で出来ないことは多く、先生に面談を持っていただいたり、定期的に保健センターに通ったり、まあまあ忙しく過ごしていました。

 3年生になり、子リスが学校生活に慣れると同時に、私も「小学生の親」という立場に慣れて、ちょっとヨユーが出て来ます。子リスが学校で喋らないことに関しても、本人も親も、それから周りのクラスメート達も、「子リスはそういうものだ」と受け入れ始めたことで、だいぶ緊張感が取れていました。そこに加えて遊びたい真っ盛りのギャングエイジ。まずは遊んで楽しく過ごすことを第一に日々を送っていたので、特に、積極的に何かを試みるというようなことはしませんでした。
 「これでいいのかな…?」という不安も時々顔を覗かせましたが、その度に支えになっていたのが、保健センターのUさんの言葉でした。

  そもそも、積極的に治療するための場所(心療内科や、その他の機関)に連れて行くべきなのかどうか?という私の疑問に対して、Uさんは、
 「治療機関に連れて行くとしても、その時期に関しては本当に慎重に見極めなければなりません」とおっしゃいました。
 「場面緘黙症に関しては、『自分はおかしい』と思わせずに過ごさせることがまずは大事です。治療機関に連れて行くということは、本人に、『あなたは治療を受けなければならない状態です』と言っていることになり、それによって本人は、自分に『おかしい』というレッテルが貼られたと受け止めてしまうことも多いんです。一度貼ってしまったレッテルを剥がすのに、相当の時間がかかることもあります。だから極力、それをしないで見守って、小さな進歩を根気よく認めてあげて、それでも進歩がないようなら、その時に初めて次のステップを考えましょう」
 と、Uさんは真剣に、私に話してくださいました。
  私はそれを聞いて、「…ということは、今できることは何もないということ?」という不安も感じながら、でも信頼するUさんの言うとおりにしてみようと思ったのでした。そしてこのUさんの言葉は、それからの私達(親と、先生方両方の)方針の基礎になって行きました。

 そんな経緯を、子リスが3年生のある日、高校時代の親友に話したことがありました。中学校の教師をしていて、場面緘黙症というものについては当然知識があった彼女は私の話を聞き、このブログも読んでくれて、こんな風に私に言いました。
  「その、『ひたすら見守る』ということが、あなたには大変なことだったんじゃないかな、と思ったよ。何かを一生懸命にやることは得意なあなただから、何もしないっていうのは大変だったんじゃないかとと思う。」
  まさに、私をよく知る彼女ならではの言葉でした。

  私は確かに、これに取り組もうと決めると(決めるまでが人の3倍ぐらいかかる、つまり腰が重いのですが)、割と脇目も振らずに突進するところがありました。 だから、子リスが「場面緘黙症」と知った時も、実は、「よおし…」という感じの、ちょっと張り切ったような気持ちもあったのです。でも、子リスの様子を日々観察し、学校での様子を先生から聞き、Uさんのアドバイスを受けるうちに、だんだんわかってきたことがありました。
 それは、あれこれ焦ってみたところで、つまり、がむしゃらに“取り組み”をすすめようとしてみたところで、子リス本人の状態にそれを受け入れる準備が出来ていなければ、どんなに周りが躍起になっても効果はない、ということです。
 子リスの 様子を見て、見守って、まずは楽しく学校に通えるように、じっくり、徹底して待つことにしようと、いつか心が決まっていたように思います。

  場面緘黙症という言葉も、それについて親である私達と先生がある方針で取り組んでいることも、子リスには知らせない。その上で、喋る練習をさせるわけでもない。「今日は喋れた?」と成果をチェックするわけでもない。「頑張りなさい」と励ますこともしない。
 本人に対して「何もしないこと」は、本当に一番難しいのですが、それがベストな時もあるのだと思います。

 親は「何もしない」をする。それは緘黙症に限らず、必要な時期というものがあるのかもしれません。

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