2年生時代 その⑥ Ray君と子リス

子リスの小学校生活の中で、特に深く関わったり、今も記憶に残る子ども達が何人かいます。その一人が、これまでに何度か登場した、Ray君でした。「お箸事件」の時に一緒に教頭先生の所に行ってくれたエピソードをはじめ、数々の場面で助けてくれたRay君ですが、普段の彼はとてもやんちゃな、ふざけるのが大好きな楽しい男の子でした。

時には楽しいを通り越して、びっくりするようなお調子者ぶりを発揮することもありました…。例えば1年生の時の授業参観で。彼は鉛筆のうしろの部分を鼻と耳に突っ込んで、教室の後ろに立っている私達の方を向き、寄り目の”変顔”をしてみせたのです。しかし、その時Ray君のお母さんは全く動じず、Ray君を見据えて一言、「ママ帰るよ。」するとR君は慌ててエンピツをはずし、行儀よく前を向いたのでした。さすが…。

 そんな風にいろいろと面白いことをしていたRay君を、子リスはいつも気に入っていました。Ray君のすることを見ては、喜んでにこにこ、ニヤニヤ、声を出さずに笑っていました。Ray君も、はじめから子リスのことを気にしてくれていたようで、何となくそばに来て、つっついたり、子リスのまわりでおどけてみたりしていました。

それは2年生になっても変わらないようで、授業参観に行ってみると、やはりRay君は子リスのほっぺをさわったり、あれこれちょっかいを出したりしています。
ちょうど教室の後方の席で隣同士だったふたり。班ごとに作業をする時間になった途端、またちょっかいが始まったので、そばに立っていたRay君のお母さんが、「Ray、やめなさいよ。」とたしなめますが、Ray君は「だってさ~、子リス、いい匂いなんだもん。」と、平気で耳やらほっぺたやら触り続けています。子リスはちょっと困ったような、でも嬉しいような顔でじっとしています。
そう、子リスは本当にミルクみたいないい匂い。でもRay君、きっとキミだっていい匂い。お母さんに聞いてみたらわかるから。…と思いながらRay君のお母さんを見ると、「いい加減にしなさいよ」と、小声で唸っているのでした。

(子ども同士のスキンシップって、いいなあ、と思うことがあります。一緒に遊んでいて、何の理由もなく友達を優しく触ってみたりする。子どもなりの親愛の表し方なのでしょう。そんな、「構え」のない接し方が、大人になっても出来たらいいのに…と思います。)

 ところで子リスは、どんな気持ちでRay君を見ていたのでしょう。どうしてあんな風に喋れるんだろう、どうしてみんなの前でおどけたり、思いっきり笑ったりできるんだろう、と不思議な思いに駆られたりすることもあったかもしれません。
同時にRay君はある意味で、子リスにとっての憧れの存在だったのかもしれません。あんな風に“弾けて”みたい、自分を解放してみたいという様な、無意識にしろそんな願望もあったのではないかと思います。

 「自分」を見せることが出来ない原因の一つが自意識の強さであるとしたら、それを裏返してみると、人一倍強い「自分を見せたい」という気持ちが隠れていることもあるのでは…と、時々感じていました。それは子リスに関しても、それから、私自身に関しても言えることです。

6 COMMENTS

りんご

初めてコメントします。りんごと申します。現在、場面緘黙の一年生の女児を持つ母親です。私は娘を理解しようと長年色々調べてきてようやく小学校入学前にある本でふと目に留まった「緘黙」と言う言葉で子どもの状態を理解しました。それまで、なかんか娘の状態を説明できる内容のものに出会った事がなく、かろうじてシュタイナー(ご存じですかね…)の4つの気質のうちの一つだろうと自分を納得させていました。なので、子どもには出来るだけシュタイナー教育的なかかわりをしてきました。それは、娘にはとても良かった事だと思っています。また、幼稚園もキリスト教が今でも息づいている園であり、子ども一人ひとりを大事に尊重して下さっていたので、卒園時には周りが見違える程、子どもが成長していて私自身も「もうどこに行っても大丈夫!」と思っていました。卒園後、場面緘黙という言葉と出会った訳ですが、私の中ではこの6年間で場面緘黙を克服したのだわ。ぐらいに思っていました。が、小学校に入学してみると、幼稚園入学当時同様に、この小学校という巨大な場所と人の集団に緘黙傾向が出てきました。担任に相談すべきかどうかを悩んでいるうちに(担任の突然の退職などがあり)月日は過ぎていき、気づけは3学期も終わりを迎えていました。そんな中ある事がきっかけで小学校のカウンセラーと話す機会があり、娘の事を聞いてみると、「学校でかなり困っている事があると思ういます。学年の先生達ともそう話しています」という事で正直びっくりしました。私は、家での娘の様子(すごくおしゃべりで、学校であった事は自分の事、だけではなく他人の事も話してくれます」と伝えてると今度はカウンセラーの方が非常にびっくりされていました。私にも何も話さず、周りの事も先生の指示も理解していない事が多いと思っていたようです。私がある状況(カウンセラーの方も知っている状況)について、娘のとった行動や、その時の状況や娘の思いなど、娘が家に帰ってきて私に説明した内容を告げると「状況もしっかり把握しているし、状況も非常に正確です。それに、あの時、娘さんはそんな事まで視野にいれて考えていたのですね、びっくりししました。」と言われました。カウンセラーの方は、ここまで色んな事が理解できて色んな感情があるのに、先生や周りの人に話せないのは本人にとってすごいストレスでしょうし、これから想像以上に周りのごたごたに巻き込まれて、理不尽な思いをする事も多いと思います。自分の内に思いを外に出していく訓練をした方が良いと思いますがいかかですか?とアドバイスを受けました。具体的には市の教育相談に行ったり、週一で「ことばの学級」に通うなどです。私も娘の為に出来る事なら何でもしてやりたいと思う気持ちはあったのですが、そういう支援に非常に疑問に思う事があったのです。それは、子リスママさんが2006年9月26日のブログに書かれているのと全く同じ問でした。子リスママさんのブログをむさぼるように読みました。本当に親としての心の動きに共感するばかりです。自分の釈然としない思いを整理するのには役だちましたし、子リスくんが場面緘黙を克服しているという事にも勇気をもらいました。私と娘はこれから、残り5年間をどのように学校で過ごすのかを模索しながら進んでいく事になると思います。子リスままさんの軌跡を大いに参考にしながら。ブログを再開して下さった事、ありがとうの思いでいっぱいです。同じ様に迷いながら、子どもと向き合い親子共に成長された足跡があることにどれだけ勇気づけられていることか。お礼を書こうと思いつつ、長いメールになってしまった事お許し下さい。これからも子リスママさんおブログを拝見させて頂き、そして、コメントもさせて頂くかもしれません。宜しくお願いします。
PS スピリットチャイルドの内容がアップされるのを心密かに楽しみにしている私です^

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おかあさんリス

りんごさん、

コメントをありがとうございます。
 娘さんのことを、本当に早い時期からよく見て、勉強されて、適切な方法を選びとられていらしたのですね。素晴らしいです・・・!場面緘黙症に限らず、集団生活の中で何かしら難しさを抱える子どもは、人一倍繊細だったり、感受性豊かだったり・・・ということが多いと思うので、シュタイナー教育を意識した関わり方や幼稚園の選択などを含め、娘さんの気持ちに寄り添って、本当に大切に育てて来られたのだなあ、と思いました。

いただいたメールを拝読して、いろいろな思いが頭を駆け巡りました。

①まず、率直な感想として・・・。娘さんが、お母さんであるりんごさんに学校であったことをいろいろ話していらっしゃること、また、状況をきちんと把握し、理解し、いろいろな感情を持ってその場にいる、という話をカウンセラーの方にされた時に、カウンセラーの方が驚かれた、とのこと。「ああ、そうだった」と、しばらく忘れていたことを思い出しました。
 「家では喋る」ということや、「いろいろな出来事の状況はきちんと(おそらく時にはその場でたくさん喋っている子ども達よりはるかによく)理解して、周りのことが目に入っている」「複雑な感情を抱いている」というようなことを誰かに伝えた時、「そうだったんですか!」と驚かれることがよくあって、その反応に、逆に私が驚いたということもありました。「場面緘黙症」という言葉や、その存在を知っている、知っていないにかかわらず、想像力を持たずして何の教育か!喋ってない分考えたり感じたりしていることがわからないのか!・・・などと随分乱暴なことを思ったりしたこともありました。切羽詰まった時の気持ちです。
 冷静になってみれば、目に見えない部分を分かれ、というのはやっぱり無理な話ですよね。相手が専門家であっても。と、当時の自分を反省しつつ・・・

②娘さんの学校のカウンセラーの方は、「訓練」をすすめていらっしゃるのですよね。訓練のようなことが、「今」適切かどうかは別問題として、一緒に取り組んでくださろうという姿勢をお持ちの方であることは、心強いことですね。

②その上で、「訓練」ということをどう考えるか、悩むところですよね。
2006年9月26日のブログで書いた「方針」は、まさに、当時私が、「とにかく今はこれでやってみよう」と気持ちを決めた時のものでした。市の保健センターのカウンセラーの方との話し合いの中で、「今はいじらない」ということが方針の幹の部分に据えられたことで、大きな安堵感と、本当に大丈夫だろうか、という不安を同時に感じながらも、でもとにかく見守って行こう、小さな変化(スモールステップ)を認めながら進んでみよう、と思ったことを覚えています。
 治療機関に連れて行くかどうかといことには、本当に細心の注意が必要だとも言われました。余りにも早期に治療期間に連れて行くことで、本人の心の傷や、否定的な自己イメージの定着につながる場合もあるから、
子どもの性質、個性と、そして子どもの年齢、発達段階(認知的な治療を受ける準備が出来ているかどうか)を見極めなければならないと、教えていただきました。このことは、学校の先生との連携の中で、同じ認識を持たなければならないことの一つだと思います。

 子どもの個性と年齢と、親の「勘」のようなもの・・・これも大事ですよね。
向き合っている問題に関する知識を深める謙虚さと、自分の感覚や本能や愛情に対するある程度の自信と、両方をバランスよく持って子育てが出来たらいいなあ、と思いますが、簡単ではないですよね。でもそうありたいです!

感じたことを、いろいろと書かせていただいてしまいました。
もしよかったら、またコメントいただけたら、と思います。
よろしくお願い致します。

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うさぎ

私はうさぎと申します。
この四月から中学三年生になる息子の母親です。
私が、緘黙と言う言葉を知ったのは、恥ずかしながら一年半前です。その時に、ママりすさんのブログに出会いました。
それから、ママりすさんの取り組みや本を参考にしながら、現在、教育支援センターの先生方にカードゲームやワードゲームなどで遊んでもらったり、コンビニで買い物をしたり、知人の方の子供さんとスカイプで交流させて頂いたりしています。
それだけでもありがたいことなのですが、次のステップとして、普通に話せる子供さんとは少しハードルが高いと思うので、同じ様な子供さんと交流できればいいなと思っています。
でも、近くに同じような緘黙の子がいないので、もし同じ県(香川県)の同じくらいの年頃の子供さんと交流できれば、励まし合いながら取り組みできると思うのです。
難しいとは承知の上ですが、ママりすさんならどう思われますか?

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おかあさんリス

うさぎさん、

 コメントをいただき、ありがとうございます。息子さんと我が家の子リスは同級生ですね!ついに中学三年生、親子ともども気が引き締まる、と言うか、あれこれ心配が押し寄せる時期になってきましたね・・・。
 教育支援センターで、先生方に「遊んでもらう」時間を設けていらっしゃるとのこと、とても素晴らしいと思いました。遊びに集中する(とまでは行かなくても、気をとられる)ことで、ガードのようなものが少し外れるのではないかと思いますし、何より「楽しい」時間を持つということが、スモールステップを生む土壌になると、これは本当に強く思います。

 すでにいろいろな取り組みをなさっている中で、同じ難しさを抱えるお子さんとの交流も持てたら・・・とお考えなのですね。「緘黙」に悩んでいる親と子供は、極端に少なくはない筈なのに、地域の中で同じ悩みを持つ仲間に出会えることは、なかなか無いですよね。これは、数の問題だけではなくて、「緘黙」の性質自体に依るものもあるのかもしれませんね。あとはやはり、この問題に詳しい専門家(学校の先生も含めて)が多いとは言えないこともあると思います。

 子リスが小学校1年生の時、同じクラスにもう一人、学校で殆ど話さない子がいたのですが、その子は結局緘黙ではないと診断され、2年生の終わりごろからは教室でも話せるようになっていました。子供同士を遊ばせたりしたことはなかったのですが、1~2年生の間、私はその子のお母さんと、時折情報交換をしたり、様子を報告しあったりしていて、やはりとても心強かったことを覚えています。

香川県にお住まいなのですね。

香川県やその近くの方で、お子さんが緘黙症と言われていたり、話すのが苦手と悩んでいらっしゃる方、そして同じ悩みを持つ方との交流や情報交換などを望んでいらっしゃる方がいらしたら・・・

もしご連絡下されば、うさぎさんにご紹介できるかも・・・と思っています。

日々の取り組みが、いわゆる”時間差”を持ちながらも実を結ぶことを信じて、また、子供が自分で成長する、成長したがる気持ちも信じて、進んでいきたいですね!またコメントお待ちしています。

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いるか

お母さんリスさん、はじめまして。いるかと申します。
我が家の次男坊、この春に一年生になりました。幼稚園年少の時に泣かずに登園できるようになったと思ったら、園で話していないことが分かりました。
色々と調べていくうちに場面緘目の特徴に当てはまることが多く、きっとこれだなと思い、今現在にいたります。

たまたま、長男が幼稚園の時に年中から一番の仲良しになった子が
お話できない子で、おそらく場面緘目症だったのだと思いますが、その子は途中からお話できるようになっていきました。
その経過をそばで見ていたので、その内次男も話せるかなと思っていましたが、なかなか進まず、少しづつ焦りを覚え、市の教育相談に行くことにしました。
(市の相談は母親との面談と次男の遊戯療法でとの話でしたが、少しづつ上向いていたので母の私との面談のみで現在に至っています。)わが子は、園では無表情、友達や先生は勿論、私とも話せませんでした。
場面緘目かなと思ってまもなく、園の方にも場面緘目であろう事と発話を促さないようにお願いすることなどして協力していただきました。
卒園までには少しづつ表情もほぐれ、私とは園内でも話せる様になったり、慣れたお友達と下駄箱を出たところでは話せるようになっていきました。

小学校に入学するに当たり事前に学校の副校長に話を聞いて頂き、担任とも次男を含めての面談の機会を設けていただきました。そこではせんせいの質問にはモジモジですが答えられました。

次男は低体重で生まれて小さめの為、強いコンプレックスがあります。
ですので卒園して小学生のお兄チャンになるんだ!と楽しみにしており、
「学校に言ったら話すんだ」と言っていました。
その宣言の通り入学式当日より「ハイ!」と声が出ました。
その後、自己紹介も小さな声ながら出来るようになりました。

ですが、最近あまりまた声を出していないようで、私としては
幼稚園の時のように「いいんだよ」といってあげたいのですが、出来たことを「しなくていいよ」と言う事が正しいのか分からず、また、勝手ながら私自身の不安や焦りから「出来たのだからもう少し頑張りなさい」とコンコンと言ってしまいました。頑張っているし、本人が一番分かっているのに酷い母です・・。

幼稚園の年少の時に比べたら大きな飛躍をしたのに欲が出てしまい
勝手な親です。寝顔を見ていて大反省で涙してしまいました。

そんな時にこちらのサイトに出会い、思わず私事をズラズラと綴っただけの
コメントになってしまいました。
もう少し、皆さんのように強くならないと!と思います。
長文、読んで頂きましてありがとうございました。
感謝と共に・・・☆

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おかあさんリス

いるかさん、コメントをありがとうございました。
お返事出来ず、本当に失礼してしまいました。すみません!
その後夏休みなどを経て、どんな風にお過ごしでしょうか。

息子さんの状態に気づいた後、市の教育相談に行かれたり、幼稚園に発話を促さないようにお願いすることをされたり、と、よく考えて対処して来られたこと、素晴らしいなあ、と思います。そして、幼稚園ではいるかさんとも話せない時期があったのに(子リスも、小学校では私とも話しませんでした)、親しいお友達と話せるようになったり、表情がほぐれたり、と、短期間に大きな進歩があったのですね。そしてそして、息子さんが自分で「学校に言ったら話すんだ」と言い、宣言通り入学式でお返事が出来て、更に自己紹介もできたなんて!

息子さんは、いるかさんがおっしゃるようにコンプレックスがおありだとしても、それを子供なりの向上心に変えることのできる、素晴らしいお子さんですね。子供のタイプはいろいろあって、子リスの場合はどちらかというと、自分が話せないことを認識することを、避けたがっているように見えていました。

小学校でも、入学前に副校長先生や担任の先生とお話しされたとのこと、環境を整えることで、いるかさんもある程度の安心感を得られたのではないでしょうか。それはきっと息子さんご本人にも、いい影響を与えていたのではないかと想像しています。

コメントをいただいた時点では、またあまり声を出さなくなっているようだ、ということでしたが、その後いかがでしょうか。学校に通い始めると新しいことの連続ですから、緊張が高まって、声が出にくくなることもあるのでしょうね。
私自身小学校一年生の時に、「学校や世の中って、どうしてこんなに困ることだらけなんだろう…」と嘆息したことを今も覚えています。

>幼稚園の時のように「いいんだよ」といってあげたいのですが、出来たことを「しなくていいよ」と言う事が正しいのか分からず、また、勝手ながら私自身の不安や焦りから「出来たのだからもう少し頑張りなさい」とコンコンと言ってしまいました。頑張っているし、本人が一番分かっているのに酷い母です・・。

わかります、わかります!!「しなくていいよ」と言うことや、出来なかったときに「それでいいよ」と言うことがいいのだろうか???という疑問は、常にありました。責めてはいけないことはわかっていながら、(自分の)気持ちが焦っている時には、「このままじゃいけないに決まってる!」という考えが勝ち、まさにコンコンと言ってしまう…それは、親としては自然なことと思います。そして、自然なだけではなく、「いずれはこうなっていこうね」、というメッセージでもあると思うので、もしかしたら時には必要なことかもしれません。毎日毎日学校から帰る度に、「今日は喋れたの?え?どうなの?」と問い詰めるわけではなく、普段はじーーーーっとこらえて(これがつらい!)見守っているからこそ、時折の「頑張ろう」メッセージは、きちんと息子さんに伝わるものと思います。
私も、「やらなくて(喋らなくて)いいなんて思うんじゃない!」
などと、きつく言ってしまったこともありました。喋らなくていいなんて、息子が思っているわけはなかったのに、です。

>幼稚園の年少の時に比べたら大きな飛躍をしたのに欲が出てしまい
勝手な親です。寝顔を見ていて大反省で涙してしまいました。

・・・じーんとしてしまいました。寝顔を見ると、本当に涙が出ますよね。この子なりに精いっぱいなんだろうな、と思うと。懐かしいです…(今は、なんでこんなに早く大きくなっちゃったんだろう…と、別の意味で涙が出そうになったりしています(^_^;)

息子さんへのメッセージが、今出来ないことを責めるのではなく、「いつかはこうなろうね」であることで、包み込みつつも未来を一緒に見る姿勢がとれて、本人がもともと持っている向上心は、時にはぐんと、時にはゆっくり、伸びていくと思います。きめ細やかに息子さんを見ていらっしゃるいるかさんなら、大丈夫!と、私は思います。

またどうぞいらして下さいね!また様子を教えていただけたら、とても嬉しいです。             

おかあさんリスより

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